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荒れに荒れた異常気象もやっと一息ついた今日、吾輩の誕生日で、何と九十一歳になったのだ。両親はもとより六人兄弟のうちの四人までが川を渡ってしまい、末っ子の娘(八十四歳のおばあさんだが)と真ん中の俺様がこちらの岸に取り残されている。さすがに二人とも体の不具合を抱えてはいるが、なんとか家族の協力を得て、老後の日々を過ごしている次第。昨日、福島市に住むいとしい妹からお祝いの電話があった。耳の遠い老生に代わって娘(早くにつれ合いを亡くした若後家さん、今は父親と兄貴の面倒を見に来てくれてる)が応対していた。あちらも去年亭主が他界し子供二人はそれぞれ遠方だから、寂しい毎日だろうけれど、相変わらず図書館関係やその他の文化活動に精励しているようだ。おそるべき行動力には敬服の至り。九十一歳の誕生日
八高で三年間担任した彼女が卒業した後、文通はあったけれど、顔を合わせる機会が全くなかった。ところが電話があって「九州に来る用事ができたので、24日午後お伺いしたい」とのこと。我が娘が打ち合わせて八代駅まで迎えに行き、六十年ぶりの再会が実現した。ダンス部などで活発な性格だった女生徒が、七十数歳のにこやかな女性となって二時間ばかり四方山話をしたのだ。娘がスマホで撮った写真を残して帰って行ったのだが、九十歳の老師、うたた感慨無量のできごと。六十年たって再会
訪問看護時、部屋ごもりを破って日光と春風を浴びようと、屋内で使ってる歩行補助器を外に持ち出して、しばしのお散歩。看護師さんがスマホで撮影した。卒寿の姿
肺気腫が長引いて部屋ごもりのうちに足腰が弱り、歩行補助機を使ってよろよろ歩き。訪問看護師さんが、日光と春風をあびましょうかと、外へ連れ出して少しばかりお散歩、スマホで写真を撮ったりした。やはり歳相応の姿なのか。卒寿のスタイル
日本人の平均寿「命が延びたとは承知していたけれど、まさかこの身がここまで生きながらえるとは思いもよらぬこと。年上の身内が亡くなって行くのは当然として、年下の弟達や七つも若い妻まで見送ったのには「なんちゅうこつか」と言わざるをえない。昨年は六月に前立腺、続けて七月に大腸ガンと三か月の手術入院があって、いよいよ吾輩も年貢の納め時かと観念したもんだが、その後は10キロ落ちた体重も元の数値に回復するなど元気な日常が戻ってくる始末、十月八日の誕生日で九十歳とあいなった。さすがに生活力は低下の一途をたどっているが、肺気腫は悪化せず、よろよろながら手足も動き、週に一度の訪問看護と、月に一度の主治医検診を受ける以外はパソコンとテレビで日々を過ごしている。「九十才何がめでたい」と本を書いた老女もいるが、人間らしく生きていくには、...九十歳の峠を越えて
才子多病??親から貰った身体髪膚をあえてキショウする大不孝を続けてきたのに、どういうことか命永らえて、今年十月には90歳になろうとしている。さすがに老化は避けがたく、肺気腫末期で終日鼻の穴に酸素のチューブを差し込まれ足腰は弱りはてて我が部屋に籠りきりの日常だが、まあ閻魔大王の気まぐれにまかせ行けるとこまで生きてみようという心境なので。<strong>いよいよ大台へ
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