『〈問い〉の問答』(玄侑宗久・南直哉)のなかに、こんなくだりがあった。発言の主は南師である。******だから、何でも答えがあると思うこと自体が間違いだとおっしゃるのはその通りです。ただ、それ以前に「〈問い〉の扱い方」を間違えていますね。答えられる問題に構成し直そうと強引にするからおかしくなる。やはり、「何ともならない」「絶句せざるを得ない」状況を一度受け止めないといけません。これはとても苦しいことですけどね。それで、何度やってもうまくいかないという状況に耐えないと駄目ですよ。どういうことかと言うと、何もしないわけにはいかないから、自分で一生懸命に〈問い〉を問い直す。答えの出る問題に構成し直そうとしても、それはつねに失敗するということに耐えないといけない。そういったある種の知的忍耐力というか、精神的忍耐力...答えは現場にあり〈再考〉