chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
いつか迎えに来てくれる日まで http://blog.livedoor.jp/youchan1201/

たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。

プーちゃん
フォロー
住所
江東区
出身
未設定
ブログ村参加

2010/07/09

  • 侵襲

    いつも同じことを言ってるが、いくら何でもやらなきゃならないことが多すぎる。それらは以前の記事に書いた「一時間に一回のコーヒーブレイクを楽しみながら、理想だけを語っている奴ら」に押し付けられた仕事のせいだ。おかげで俺たち現場の管理職だけでなく、その部下たち

  • 生命力

    俺の周囲には、生命力に満ちあふれた人々がいる。それは俺の部下たちのことではない。また、俺の友人たちのことでもない。そもそも名前も知らないし、どこに住んでいるのかも分からない。だが、いつでも”あの連中”は、俺の傍らに現れる。あの連中の生命力が眩しい。羨まし

  • 今日は昨日のコピーにすぎない。

    毎朝4時半には目が覚める。もう朝が来ちゃったのか…と思うと鬱になる。気分は最悪だ。起床するには早すぎる。俺は布団の中で目を閉じて、再び眠りに落ちようとする。浅い眠りの中で、俺は夢を見る。いつだって不快な夢だ。午前5時半には起床する。悪夢を見ていたせいで、

  • 死にたいんです…と言ってみる。

    月に1回、必ず心療内科に通院している。かみさんが亡くなってから、ずっと世話になっている病院だ。診察が済むと、いつも主治医は同じ質問をする。最後に言いたいことはありませんか?俺は応える。特にありません。だが…本当は言いたいことがある。義母や2人の義弟にも言

  • 完全な「無」

    伴侶や子どもを亡くしてしまった。それ以来、ひとりぼっちになってしまった人も少なくない。かみさんを喪ってから、俺もひとりぼっちになってしまった。だが、ひとりぼっちなのは俺だけではない…と自分に言い聞かせてみた。そうだ。この世界には、ひとりぼっちがたくさんい

  • 世界が俺から遠ざかる。

    激しい「悲しみ」が影を潜めているとき。深い「哀しみ」からも目を反らしているとき。何かに集中していたけれど、ふとした瞬間、息を抜いたときだ。見えてはいるけど観てはいない。聞こえてはいるけど聴いていない。まるで魂が抜けてしまったかのようになってしまう。まるで

  • そして俺はヤケになる。

    かみさんが亡くなって以来。俺は哀しい。俺は淋しい。そして心はいつでもザワザワしている。ザワザワって、いったい何?と聞かれたことがある。だが、俺は答えられなかった。不安と言えばいいのだろうか。恐怖と言えばいいのだろうか。適当な表現が見つからない。いつでもザ

  • 理想を語る者

    やらなきゃならないことが多すぎる。おかげで身体はガタガタだ。おかげで心はズタズタだ。息をつく暇もありはしない。じっくり物事を考える時間もない。スケジュールはいっぱいだ。いつでも俺は(俺たちは)仕事に追われているのだ。それでも「奴ら」は「じっくり物事を考え

  • ポンコツのクソ馬鹿野郎

    朝起きて、「今日は会社に行きたくないな…」と思うことが少なくない。平日でありながら、「今日は家でのんびりしていたいな…」と思うことが少なくない。かみさんが元気だったころには無かったことだ。かみさんがいた頃は、ずっと会社の中枢部門にいたせいか、(ある意味で

  • 絶対に失ってはならないモノ

    たとえ失ったとしても、取り戻せるものがある。だが、どうしても取り戻せないものだってある。取り戻せないからと言って、悲しいとは限らない。我々は「失ったって、どうでもいいもの」に囲まれているのだ。だからこそ俺たちは生きていける。何かを失うたびに人生が狂ってし

  • 消滅への意志

    現在5月15日の午前7時13分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。夜中に目が覚めてしまったからだろうか。それとも天候が悪いせいだろうか。あるいは、かみさんが闘病していた時期だからだろうか。朝から鬱がひどい。身体を動かす気力が出ない。今朝

  • あまりにも美しい老夫婦の姿

    自宅から最寄り駅までの道すがら。俺の目の前を老夫婦が歩いていた。すでに80歳に近いだろうと思われる二人だ。二人は朝の散歩をしている様子だ。寄り添いながら、ゆっくりと歩いている。俺が後方から眺めているかぎり、二人の仲は睦まじい。ご主人が奥さまに何かを話しかけ

  • もはや事態が好転することはない。

    ここ最近、熟睡できない日が少なくない。今朝も午前4時20分に目が覚めてしまった。原因は分からない。だが、毎年この時期になると、いつにも増して心が乱れてしまう。ひょっとすると、かみさんが癌だと診断されて、闘病していた時期だからかもしれない。眠れない日々が続くと

  • 睡眠障害 (2)

    かみさんが亡くなってから1か月。俺はほとんど眠ることができなかった。朝まで泣き明かしたことも多かった。朝まで叫んでいたことも多かった。眠れないことに耐えられず、俺は心療内科で睡眠導入剤を処方してもらった。その日の夜、俺はようやく眠りに落ちることができた。

  • 狂気とかみさんの気配

    通勤途中や買い物などで、街を歩いているときのことだ。それは、いつでも突然にやってくる。かみさんと暮らしていた日々の記憶が、突然、頭に浮かんでくるのだ。何らかの「きっかけ」があるわけではない。想い出そうとして想い出すわけでもない。俺の意思に関わらず、かみさ

  • あの頃の空気は軽かった。

    朝7時に目覚まし時計が鳴った。俺たち夫婦は寝起きが良かった。かみさんと俺は、ほぼ同時に目を覚まし、ベッドの上にムックリと起き上がった。お互いの目が合った。その瞬間、二人は意味もなくニンマリと笑った。どちらからともなく「おはよう」と言うと、もう一方も「おは

  • 意外と近くにいる。

    毎日がとても辛い。起床するのも辛いし、洗顔をするのも辛い。歯を磨くのも辛いし、シャワーを浴びるのも辛い。そもそも身体を動かすことが辛いのだ。会社に行きたくないな…と思う。酒を飲みながらノンビリしていたいな…と思う。だが、そういうわけにはいくまい。俺は深い

  • 末路

    5月3日の水曜日。俺はかみさんの墓参りに行った。菩提寺に着いたのは午前11時ごろだった。俺は広い墓地を見回した。俺以外には誰もいなかった。そりゃあそうだろう。誰がゴールデンウィークに墓参りなんか行くものか。周囲に人影が無かったせいで、心静かにかみさんを想う

  • 放射

    伴侶や子どもを亡くした悲しみには「重さ」がある。世界でいちばん大切な人を喪った悲しみには「質量」がある。悲しみの質量は、あまりにも大きい。そのため巨大な「重力」を持っている。その重力が強すぎて、悲しみは自分自身を支えていることができなくなる。自らの質量に

  • 重い命、軽い命

    戦争や災害によって、たくさんの人々の命が同時に奪われることがある。それらの人々の死は、いつまで経っても悼まれ続け、語り継がれ、決して忘れられることはない。その人々が亡くなった日は、毎年必ずやってくる。すると、亡くなった人々の遺族はもちろんのこと、国中の多

  • いつかはきっと…

    最愛の人との死別ほど辛いことはない。たぶん人間にとって、これ以上に辛い体験はない。自分も死んじゃおう…と想う。後を追って死んでしまいたい…と想う。そんなことを言うと、「だったら死んじゃえば?(笑)」という人も少なくない。事実、そういうコメントも数多く書き

  • 贖罪の方法

    かみさんが亡くなってから。俺は自分の命を縮めようとしてきた。自分を破壊しようとしてきたのだ。だからこそ酒に溺れてきた。だからこそ体調が悪くても、病院には行かなくなった。あれほど好きだった運動もしなくなった。食生活はメチャクチャだ。しかし…俺はなぜ死にたい

  • それこそが本当の幸せだ。

    ゴールデンウィークに入ったからだろうか。世間の空気が浮き足だって見える。そういう空気に触れていると、あの頃は楽しかったな…と思う。ここでいう「あの頃」というのは、言うまでもない。かみさんが元気だった頃だ。毎年のゴールデンウィーク。かみさんと俺は、北海道に

  • どっちも大っ嫌いだ。

    現在5月2日の午前7時05分。いつものとおり、通勤途上でブログの記事を書いている。今日の仕事が終われば5連休に入る。だが、連休が終わったら、これまで以上に忙しい毎日がやってくる。いつまで経ったら息をつけるのだろう。いつまで経ったら本当にマッタリできるのだろう。

  • 俺はいらない。

    世間はゴールデンウィークに入った。街中は人が少ない。公共交通機関も空いている。みんな家族と一緒に旅行にでも行ったのだろう。あるいは家族に会うために帰省をしたのだろう。それなのに、俺は会社に向かっている。馬鹿みたいだな…と思う。・・・今朝(月曜日)はいつに

  • 寄り掛かることのできる人

    かみさんが元気だった頃。こんな俺にも「何でも話せる人」がいた。それは言うまでもない。かみさんだ。自分の弱い部分や醜い部分も含め、何でも話せる人の存在は、とても貴重だ。そんな人は、せいぜい家族のうちの誰かくらいしかいないからだ。ひょっとしたら家族にさえ何で

  • 悲しくて当然じゃないか…と思うのだ。

    かみさんが亡くなってからの数年間。俺は自分の喪失感を表現するための言葉を持ち合わせていなかった。悲しみがあまりにも激しくて、それを伝えられるだけの適切な語彙が見当たらなかったのだ。悲しい。寂しい。周囲の世界に現実感がない。離人感が苦しい。さまざまな言葉を

  • かみさんの姿を見る。

    かみさんの夢を見た。毎晩のように夢は見るのだが、かみさんの夢を見るのは久しぶりだった。俺はかみさんと待ち合わせをしていた。どこかの空港の中だった。二人が落ち合って、同じ飛行機に乗って、どこかに行く様子だった。だが、待ち合わせの場所に行ったのに、かみさんの

  • 死別した者たちが集まる場所

    先日、ブログに書いたとおり、義母や二人の義弟から、「ゴールデンウィークは北海道に遊びにおいで」、「ひとりぼっちで家にいないで北海道においで」と声を掛けてもらった。だが、仕事がクソ忙しくて心身ともに疲労が溜まっており、俺は6~7時間も掛けて北海道に行くこと

  • 空白の時間

    心が重たい。情けなくて涙が出そうになる。身体がダルい。立っているのも辛いぐらいだ。たっぷり眠ったはずなのに、心身の疲れが取れていないのだ。寝床に就く直前。俺は時計を見る。すると「今日は6時間は眠れるな…」だとか、「今晩は7時間も眠れるのか…」と考える。眠

  • かみさんと俺が地獄を覗いた日

    今日は令和5年4月26日だ。4月26日は、かみさんが癌だと診断された日だ。あの日以来、4月26日は俺にとって忘れることのできない日付になった。それはそうだろう。かみさんと俺が、地獄の井戸の底を覗いた日なのだ。毎年4月26日には、フラッシュバックに苦しめられる。かみさん

  • 「ひと休み」がしたかった。

    朝目覚める直前だった。いつものように、俺は悪夢を見ていた。仕事がクソ忙しいせいだ。毎朝見るのは仕事に追い詰められている夢なのだ。4月24日の月曜日。目覚めた後の気分は最悪だ。会社に行きたくないと思った。かみさんの仏壇の前に座り込み、朝から酒を飲んで現実逃避し

  • 普通じゃない。

    熟睡することができない。眠っている間は意識がないにも関わらず、心のどこかがザワザワしている。目覚めた直後の気分は、いつだって最悪だ。イヤな夢を見ていたようだが、どんな夢だったのかは思い出すことができない。かみさんが亡くなってから。俺は安心して眠ることがで

  • 何度でも同じことを言う。

    何度でも同じことを言う。俺は目が覚める瞬間が大嫌いだ。かみさんが亡くなってから最初の数年間。朝目覚めると、俺は周囲を見回してかみさんを探した。あれ? なんで容ちゃんがいないんだろう…疑問を抱いた次の瞬間だった。俺は気がついた。あぁ、そうだっけ…容ちゃんは死

  • そういう老後は絶対に訪れない。

    昨晩は少しばかり早く帰宅できた。溜まった疲れを取るために、俺は早めに寝床に就いた。時間は夜の10時頃だった。朝までグッスリ眠れたら、少しは元気を取り戻すことができるだろう。だが、夜中に何度も目が覚めてしまった。睡眠導入剤を飲んだのに、2時間ほどで目覚めてし

  • ゴールデンウィークを前にして

    ここ数日。ブログの記事が、愚痴ばかりになっている。仕事が忙しすぎて、ストレスが溜まっているせいだろう。身体には疲労が蓄積している。全身が重たい。呼吸が荒い。しかも、今朝からは胃が痛む。精神にも疲労が蓄積している。いつでも緊張感が抜けない。気が重い。数ヶ月

  • 予想どおりの「生き地獄」

    昨日の記事に書いたとおり、アフターコロナに入ったからだろうか。いくらなんでも、やらなきゃならないことが多すぎる。目の前に大きな山があり、それを越えなければならない。精神を磨り減らし、肉体を酷使して、ようやく大きな山を越えることができる。その後は少しばかり

  • アフターコロナ

    3年間に渡るコロナ禍で、さまざまなモノが停滞していた。自粛だの、休止だの、時短だの、縮小だのという言葉を飽きるほど聞かされた。だが、今年に入って世間の空気が変わった。もはや第9波は来ないと思われている。コロナと共存していく日々が訪れたようだ。しかし、良い

  • これからの時代

    生きていれば、さまざまな環境の変化を経験する。進学したり、クラス替えがあったり、卒業したりするだろう。社会人になって、異動を経験したり、転勤したりもするだろう。新しい友だちができたり、恋人ができたり、あるいは結婚したりもするだろう。これらの大きな変化だけ

  • ドス黒い何物か

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦には夢があった。目標もあったし、希望もあった。もちろん「今ここ」は幸せだった。だが、未来はもっと明るいと信じていた。明るく楽しい未来を実現するため、かみさんと俺は前向きに生きていた。明るい未来の中には、俺たち二人の「死」

  • 大きな死

    現在4月15日の午前8時13分。いつもとは違い、自宅のリビングでウィスキーを飲みながら、ブログの記事を書いている。身体がダルくて仕方がない。おかげで気分も落ちている。そのうえ頭がボンヤリしている。老化のせいだろうか。それとも肝機能が低下しているせいだろうか。理

  • 五月蠅い(うるさい)爺さん

    俺の部下の中に70歳前後の人が4人いる。いずれも正社員ではなく、非常勤の嘱託さんだ。そのうち3人のAさん、Bさん、Cさんは女性。あと1人は男性のXさんだ。先日、俺が会議で席を外していたときのこと。Xさんは仕事上の間違いをAさんから指摘された。AさんはXさん

  • 微かな希望

    何故だろう。ここ最近、いつでも緊張している。目が覚めても光を見るのがイヤで、ジッと目を閉じている。心がいつでもザワザワしている。情けない気持ちになって泣きたくなってしまう。ときおり死にたくなってしまう。何か悪いことが起きるんじゃないだろうか。何か辛い思い

  • 軽視

    俺はすっかり荒んでしまった。かみさんがいなくなり、“ひとりぼっち”の余生が長引くにつれて、俺はすっかり刺々しくなってしまった。普段は「明るく元気な課長さん」を演じているものの、心の中には疑心暗鬼や人間不信、憎悪や攻撃性が隠れている。それらは次第に密度が高

  • 完全な「無」になる8時間

    1日は24時間だ。これを3で割ってみる。すると8時間が3つできる。3つの8時間は、仕事をしている8時間、眠っている8時間、そして、自由に過ごすための8時間に分けられる。これは“おおざっぱ”な分類で、実際には8時間以上、仕事をしていたり、6時間しか眠れない

  • 一瞬の変化のあと

    かみさんが元気だった頃。いちばん落ち着ける場所は自宅の中だった。かみさんが俺の隣にいて、かみさんのおしゃべりを聞き、かみさんが笑っているとき、俺は最も落ち着くことができた。なんの不安や脅威もなかった。とても穏やかで、とてもリラックスしていた。だが、今は違

  • 悲しみの「期限」

    グリーフワークだとか、グリーフプロセスという言葉がある。そこでは、伴侶やお子さんと死別してから、どのような心理的過程をたどり、どのように悲嘆から立ち直っていくかが示されている。だいたい3年から5年くらいで立ち直るのが「普通」であるとされている。そのせいか

  • 空間と時間が遠ざかる。

    それは確か、「あの日」からだったと記憶している。かみさんが癌だと診断された日だ。あの日から、俺たち夫婦は同じ想いを抱いていた。自分たち二人だけが、世間から「取り残されてしまった…」という感覚だ。空間と時間のいずれもが、かみさんと俺を置き去りにして遠のいて

  • 元部下への感謝

    年度始めの一週間が終わった。環境の変化に緊張しているらしく、疲労感が半端じゃない。まだ新しい部下たちにも慣れていない。だが、部下たちだって俺に慣れてはいないだろう。仕事に関わる報告や連絡、相談は頻繁にあるのだが、この一週間、雑談する機会は少なかった。自宅

  • 遺族を救えるのは遺族だけかもしれない。

    身体に障害を持つ人々がいる。あるいは怪我をしていたり、癌などの病気で苦しむ人々がいる。彼らに対し、周囲は優しい。援助をしたり、配慮をしたり、共感や同情をしたりする。彼らが抱えているハンディキャップは、周囲の人々の五感(とりわけ視覚や聴覚)で捉えることがで

  • 息の根を止めたらいい。

    この世界は不条理だ。この世界は理不尽だ。運命はあまりに残酷だ。俺は十分に苦しんで生きてきた。妹とともに、両親から虐待を受けて育ったのだ。その結果、自尊心を破壊された。ある時期までは社会に適応できず、いつだって排除される側の人間だった。そうだ。俺はずっと苦

  • 四面楚歌

    年度末から年度始めに掛けて。ツラい日々が続いている。身体のあちこちがギシギシと痛んでいる。心は折れそうで、逃げ出したくて仕方がない。だが、ギリギリのところでヤセ我慢をしているのだ。この時期にストレスに曝されるのは、俺に限ったことではない。サラリーマンなら

  • 生々しい「現実」 ~坂本龍一さんの死~

    ピアニストで音楽家の坂本龍一さんが亡くなった。死因は直腸ガンだったらしい。ほんの少し前、一緒にYMOで活動していた高橋幸宏さんも亡くなった。かみさんは、お二人の音楽が大好きだった。小学生の頃から好きだったらしい。数年前には、若い女優さん(歌舞伎役者の元奥

  • 本物の孤独

    仕事が終わって退社をすると、あらゆる人々との関係が切れてしまう。他愛のない会話をする相手は誰もいない。一緒に笑うことのできる相手も誰もいない。これは本物の孤独だ。街中や地下鉄の中には大勢の人がいるけれど、彼らは俺とは無関係だ。俺の歩行を邪魔する障害物にす

  • ゴールの向こう

    俺は1日に何度も呟いている。帰りたいな…と小声で呟いている。かみさんが亡くなってから、ずっと呟き続けているのだ。もちろん誰かに聞かれてしまったことはない。周囲に人がいないとき。俺が‘ひとりぼっち’になったとき。俺はタメ息をつきながら、「帰りたいな…」と呟

  • 世界の実態

    ずっと楽チンに生きてきた人々がいる。ずっと思い通りに生きてきた人々がいる。ずっと自分の「やらなければならないこと」の範囲を限定的に捉えてきた人々がいる。彼らや彼女らは、何もかもが自分の思い通りにならないと気が済まない。当然、何もかもが思い通りになるはずは

  • 人間不信

    自分が他者から拒絶されるような気がする。自分が他人に受け入れてもらえないような気がする。それは大概、妄想にすぎない。だが、その妄想は確実に俺を拘束している。こんな妄想を抱くようになった理由はハッキリしている。俺が両親から虐待されて育ったからだ。自尊心が傷

  • 魂を求めている。

    かみさんが亡くなってから最初の数年間。俺は「あの世」や「死後の世界」を探していた。かみさんの生前は唯物論者だった俺なのに、かみさんが亡くなった途端、「あの世」や「魂」を探し始めた。俺はかみさんに会いたかったのだ。俺が死んだら、また彼女に会えるかどうかを知

  • ある日の不安感をめぐって

    かみさんがいない。俺には家族がいない。帰れる場所がない。寄りかかる所もない。だからだろうか。俺は今、強烈な不安感を抱えている。あまりに不安で目を開けていられない。光が怖いのだ。真っ暗になれば落ち着くかもしれない。だから俺は、布団に横たわり、しっかりと目を

  • 自分に優しくしてあげよう。

    3月27日の月曜日。偶然だけど、かみさんの月命日だ。目が覚めて時計を確認すると、午前3時28分だった。眠っている間に死んでしまうのが理想だが、俺は今日も生きていた。もう眠くはないが、起床する気にもなれない。俺は布団の中で丸まって、ジッと目を閉じ続けた。心がザワ

  • ”風景”の喪失

    ある“風景”を見ていた。それは、とても”きらびやか”で”華やか”だった。俺は気がついた。この“風景”は、かつて俺の傍らにあり、いつでも見たいときに見ていたものだった。他でもない。以前は俺自身のモノだった“風景”なのだ。それなのに…今の俺は、この“風景”を

  • 心の中の「特異点」(改稿)

    泣き叫ぶことが少なくなっていく。それにつれて、次第に気持ちは鎮まっていく。だからと言って、立ち直ってきたというのではないし、穏やかになってきたというのでもない。慟哭の日々が過ぎ去れば、鬱の毎日がやってくるのだ。鬱はとても不快だ。不快だとは思っても、それに

  • 罰ゲームみたいな…

    俺が41歳のとき。かみさんが亡くなった。俺は自分の人生も終わった…と思った。約20年間の幸せで、楽しい日々が終わってしまった…と思った。これからどうやって生きていったらいいんだろうか。想像する未来は、あまりにも暗くて、あまりにも重たくて、あまりにも寂しかった

  • いろいろな形の墓参り

    3月21日の春分の日。菩提寺で春の彼岸会法要があった。かみさんにお経をあげてもらうため、俺はお布施を持って寺に向かった。タクシーで概ね30分。自宅から遠くはない。おかげで墓参りには行きやすい。寺に着いて、周囲を見回した。俺は少しばかり驚いた。墓参りに来ている人

  • 訃報

    昨晩、義弟(かみさんの弟)から電話があった。かみさんの叔母・Tさんが亡くなったんだそうだ。Tさん夫妻には子どもがいない。したがって、Tさんのご主人は俺と同じになってしまった。夫婦二人で仲良く暮らしてきたけれど、妻に先立たれてしまい、“ひとりぼっち”になっ

  • 取り戻したかったモノ

    かみさんが元気だった頃。毎週土曜日の朝、俺はかなりの早い時間に起きていた。金曜日に深夜まで残業しようとも、俺は無理やり起床していた。休日出勤をする日はギリギリまで寝ていたが、そうではない土曜日は、早朝5時には起床していた。かみさんはまだ熟睡している。顔を

  • かみさんだったら何て言うんだろうか。

    相変わらず体調の悪い日々が続いている。食欲もないし、倦怠感がハンパじゃない。呼吸は荒く、息切れがしている。心拍数がバカみたいに高い。ダルくてダルくて、週末は何度も昼寝した。それでも疲労が取れず、まだまだ眠り足りない。会社を休んで寝ていたいけど、やらなきゃ

  • 無力な遺族

    自分が愛する人のためならば、何でもしてあげたくなるものだ。喜ばせてあげたい。楽しませてあげたい。望みをかなえてあげたい。笑顔にしてあげたい。幸せにしてあげたい。愛おしいという想いには、必ずと言っていいほど、それらの気持ちが付随する。それは、自分の愛する人

  • 封印を解く。

    辛いなぁ…と呟きたくなることがある。もしも呟けば、なんで辛いの?と聞いてくれる人も多いだろう。だが、そこで何と応えればいいんだろうか。俺は迷ってしまう。花粉症で目が痒くて辛いんだよ…だとか、膝が痛くて辛いんだよ…と応えれば、大変だよねぇ…という答えが返っ

  • 苦しむために生きている。

    ものすごく辛いとき。死んでしまえば楽になる。かみさんがいた頃ならば、こんなことは思わなかった。俺たち夫婦は生きたかったからだ。生きることが大好きだったからだ。しかし…今は違う。辛いのならば逃げてしまえばいい。死んでしまえば楽になる。そう考えている。生きて

  • 俺はこの世界が大嫌いだ。

    ここ数週間、いつにも増して気分が重い。特定できるような理由があるわけではない。ひょっとしたら、季節の変わり目のせいかもしれないし、人事異動の時期のせいかもしれないが、理由は自分でも判然としない。なぜだか心が萎えている。他人と関わりたくない。会社に行きたく

  • 全力で否定する。

    かつて未来には希望があった。かつて将来には夢があった。たくさんの障害はあるだろう。だが、それらをすべて乗り越えて、俺は理想に到達するはずだった。その時、かみさんは俺の横にいるだろう。かみさんは俺の横で笑っているだろう。夫婦ともに老けてしまったが、それでも

  • 贅沢は言わないけれど

    かみさんがいなくなってから。良いことなんて、めったに起こらなくなった。それは仕方のないことかもしれない。俺にとっての良いことは、いつでもかみさんと共にあったのだ。些細なことであろうとも、かみさんと一緒にいるだけで、それはとても良いことに感じられた。良いこ

  • 死別の二次被害 (4)

    最愛の人を亡くした方々ならば、「死別の二次被害」に遭ったことがあるだろう。伴侶やお子さんを喪えば、周囲の人々は、遺族の心を抉るような言葉を掛けてくる。もっと辛い人は他にいくらでもいる…だとか、死別なんて大した問題じゃない…だとか。俺もイヤというほど心無い

  • うざったくて仕方がない。

    かみさんが亡くなって3年ほどが経ったころ。ある女性から、このブログに奇妙なコメントが書き込まれた。自分がいちばん不幸だと思うのは止めてください。伴侶を亡くした人なんて、いくらでもいます。アナタもそのうちの一人に過ぎません。こんなコメントを書く人だ。きっと

  • 終わりを求めて

    かみさんがいなくなってから、ずいぶんと時間が経った。とても長い時間が経ったはずなのに、いまだに俺は、かみさんのいない日々に慣れることができない。食事の支度に困ってしまうというわけではない。掃除や洗濯が面倒だというわけでもない。主婦としての役割を果たしてく

  • 願望

    かみさんが元気だった頃。俺は仕事が大好きだった。成果を出せば評価された。評価されれば昇給も速く、昇進するのも速かった。まるでゲームを楽しむかのように、仕事を楽しんでいた。残業が多く、帰宅が午前様になることも多かった。いつでも身体はキツかったけど、それでも

  • 踏み台にされる人々

    かみさんが闘病中のこと。俺はかみさんの完治を願い、自分にできることは全てやり、そしていつかは夫婦二人の穏やかな日常を取り戻そうとしてきた。だが…俺たち二人の祈りは虚しく、かみさんは息を引き取った。その瞬間、俺の人生が終わった。全身の血液が凍りつき、俺は奈

  • かなしみの変遷

    かみさんが息を引き取った。俺の最愛の家族が亡くなった。それから数年間に渡り、俺は強烈な悲しみに振り回されていた。まるで巨大な台風や地震に襲われて、成すすべもなく翻弄されているかのようだった。身体の半分を奪われるみたいだった。心臓を引き裂かれるみたいだった

  • 世界は不平等で理不尽だ。

    俺の周囲にたくさんの人がいる。名前も素性も分からない人ばっかりだ。この人たちは、いったい何のために生きているのだろう。おそらく目的もなければ意味もない。そうだ。死なないから生きているだけなのだ。死なないから「仕方なく」生きているという意味ではない。彼らは

  • 「俺だけ」が“ひとりぼっち”だ。

    街を歩いているとき。たくさんの人々とすれ違い、たくさんの人々を追い抜いていく。そんなとき、俺は切なくなって、哀しくなってしまう。自分が“ひとりぼっち”であることを痛感し、胸が抉られるような気がするからだ。行き交う人々の背後には、家族の影が見える。誰にでも

  • いま目の前にある死

    伴侶やお子さんを亡くした人にとって、死は身近でリアルで具体的だ。普通の人々であっても、いずれは自分も死ぬことを知っている。だが、それは遠い未来の話。彼らや彼女らにとっての死は、抽象的な「概念としての死」にすぎない。自分の死をリアルに想像することなどあるま

  • もう、どこにも戻れない。

    ふとした瞬間、俺は深いタメ息をつきながら、「還りたいな…」と呟く。呟いた直後に我に帰り、「俺はいったい、どこに還りたいんだろうか…」と不思議な気持ちになる。かみさんがいた頃に還りたい。これは偽らざる本心だ。だが、そんなことは不可能であることを、俺の理性は

  • 音のない世界

    かみさんが元気だった頃。かみさんの隣は空気が軽くて明るくて、暖かかった。俺はかみさんの賑やかな声に耳を傾けていた。その結果、俺の意識はいつでも外の世界に向けられていた。外の世界が俺を受け容れてくれた。とても気持ちが良くて、安心することができた。かみさんの

  • 二人が幸せだったからこそ悲しみがある。

    俺の実父は、俺が16歳、妹が14歳のときに心筋梗塞で亡くなった。入院はしていたが、死ぬような病気ではなかったので、まさに晴天の霹靂だった。実母は実父を喪った。亡くなってから1ヶ月ほど、実母は毎日、泣いていた。非常に仲の悪い夫婦であったが、やはり悲しいのだろう

  • 消えた笑顔

    かみさんが亡くなってから。それなりの年月が経った。つい最近のことだ。俺は自分の変化に気が付いた。かみさんが元気だった頃と、かみさんが亡くなった後との俺の変化についてだ。何年も前に気づいていても、おかしくないはずだった。それなのに、俺はつい先日まで気づいて

  • 既に失われたモノ

    また真夜中に目が覚めた。時計を見ると、午前3時だった。いつものような不快な気分はなく、とても穏やかな目覚めだった。だが、いくら何でも早すぎる。俺は再び目を閉じた。半分だけ眠っているようなボンヤリした頭の中、俺の意志とは無関係に、さまざまなイメージが浮かん

  • ゆっくりと崩れていく。

    男ヤモメの休日は、掃除や洗濯など最低限の家事から始まる。それが終わると、かみさんに線香をあげ、お供えをする。そして俺は途方に暮れる。夜までには、まだ時間がある。どうにかして時間をやり過ごさなければならない。だが、何をしたらいいのか分からない。かみさんが元

  • 重力崩壊

    最愛の人を喪った哀しみは、大きな質量を持っている。大きな質量は時空間を歪め、巨大な重力場を形成している。潰れてしまいそうだ。崩れてしまいそうだ。しかし…重力に反発する力もあるらしい。心の中では、死にたい…と願っている。かみさんの後を追いたい…とも思ってい

  • 休日の朝

    休日の朝。たいていは4時半前後に目が覚める。この時間。平日ならば、すぐに起床する。だが、休日の朝は布団から出る気力が湧いてこない。気が重いのだ。心と身体が重たいのだ。どうやって1日を過ごしたらいいのか分からない。夜が来るまでの間、どうやって時間を潰したら

  • 生まれてこなければ…

    日本人男性の平均寿命は概ね80歳と言われている。20年をひとつの単位とすると、それを4回ほど繰り返せば人生は終わりだ。俺の80年の人生のうち、最初の約20年間には反吐が出る。良い思い出なんて一つもないからだ。ツラいこと、苦しいこと、イヤなことばっかりで、この世界

  • 早く年を取りたい。

    俺は子どもの頃から「早く年を取りたい…」と思っていた。年を取れば周囲は俺に無関心になり、少しは生きやすくなるだろうと思っていた。これは、俺が両親から虐待されて育ってきたことと無縁ではないだろう。人間に対する不信感でいっぱいで、この世界はなんて生きづらいん

  • 俺は朝が大っ嫌いだ。

    俺は朝が大っ嫌いだ。平日であろうと、休日であろうと関係ない。1日のうちで、最も不快な時間帯が朝なのだ。あの不快な気分をどう表現したらいいのだろうか。あまりにドンヨリしている。あまりに落ちている。あまりにも虚しい。そして、あまりにも哀しいのだ。1日を過ごし

  • 絶望する暇(いとま)も無いだろう。

    昨晩、かみさんの夢を見た。すでに記憶は薄れているが、ぼんやり覚えている部分もある。夢の中。誰かが俺に聞いた。奥さんに連絡してあげなくてもいいの?俺は戸惑った。どうやって“あの世”に連絡したらいいんだ?連絡する方法が分からない。だが、かみさんが“あの世”に

  • 枯渇

    朝はスッキリ目が覚めた。かみさんと目が合って、お互いにニッコリと笑った。そして「おはよう」と声を掛け合った。目が覚めると、すぐにエンジンが掛かった。頭はフル回転し、身体は活力に充ちていた。テキパキと洗顔し、かみさんが作ってくれた朝食を摂り、スーツに着替え

  • そういう未来が確実に訪れる。

    かみさんが元気だったころ。あの20年間を振り返ってみれば、賑やかだったけど、わりと平凡に生きてきたのだと思う。劇的な「変化」があるわけではなかったが、俺たち夫婦は満足で、いつでも穏やかに生きてきたな…と思う。どこにでもいる普通の夫婦。だが、それで良かったの

  • かみさんは「あの世」を信じていた。

    かみさんが元気だった頃。俺たち夫婦は「死後の世界」や「あの世」について語り合ったことがない。俺がかみさんに「『あの世』ってあると思う?」なんて聞いたことはないし、かみさんが俺に「人が死んでも『魂』は生きてるんじゃないかな…」なんて言ったこともない。当時の

  • 笑顔で越える一線

    一週間に一回程度だろうか。頭から血の気が引いたような、急に血圧が下がったような感覚に襲われる。その感覚は、決まって朝目覚めた瞬間にやって来る。そんな時は立ち上がるのもしんどいし、歩くペースもゆっくりで、呼吸が荒くなってしまう。昨日のブログに書いたとおり、

  • 俺だけが別の空間にいる。

    かみさんが亡くなって一ヶ月が経った頃。俺は生まれて初めて「心療内科」を訪れた。悲しくて気が狂いそうだったからだ。涙が止まらなかったからだ。鬱で身動きできなかったからだ。誰とも話をしたくなかったからだ。主治医の診断は「死別反応」だった。そのときは抗鬱剤、精

  • ブレーキを掛けられた”時間”

    誰でも同じだろうが、俺は「楽しい時間は速く過ぎる」と感じている。それは一時間だとか、一日だとか、短いスパンだけの話ではない。一ヶ月だとか、一年だとか、さらには数年だとか、そういう長いスパンで見ても、楽しい時間は速く過ぎていく。おそらく幸せな毎日を送ってい

ブログリーダー」を活用して、プーちゃんさんをフォローしませんか?

ハンドル名
プーちゃんさん
ブログタイトル
いつか迎えに来てくれる日まで
フォロー
いつか迎えに来てくれる日まで

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用