花見酒だと洒落込んで、丑三つ時に家を出た。ふらりふらりと河川敷の桜並木を見上げて歩き、適当な石に腰掛ける。買い込んだカップ酒に口をつけ、ケラケラ笑っていたがふと気づく。座れるほどの、岩があっただろうか?ゾロリ、と空気が動き、影が差す。遠く、犬が吠えた。...
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花見酒だと洒落込んで、丑三つ時に家を出た。ふらりふらりと河川敷の桜並木を見上げて歩き、適当な石に腰掛ける。買い込んだカップ酒に口をつけ、ケラケラ笑っていたがふと気づく。座れるほどの、岩があっただろうか?ゾロリ、と空気が動き、影が差す。遠く、犬が吠えた。...
再会は、会社帰りの夜道だった。同棲中、家族に連れ帰られ、それきり三年。ほらみろ、訃報は嘘だったじゃないか。ずっと、会いたいと思っていたんだ。生ぬるい風の中、元気だったか?の問いに、赤い唇が弧を描く。相変わらず綺麗だ。重ねた手が、ヌチャリ、と音を立てた。...
すえた甘い臭いがする。閉ざされた扉の向こうから、熟れすぎた果実のように、甘い腐臭が。重い扉の向こうにあるのは、なにか。グジュグジュと溶け落ちた粘塊が脳裏をよぎり、手が震える。鍵を開け扉を押し開くと、密度の濃い腐臭が断末魔のように、部屋には満ちていた。...
貴方の手が好きなのだ。節くれだった指も、ゴツゴツした手のひらも、筋張った甲も…無骨なフォルムに見惚れてしまう。欲しかった貴方の手を、独り占めできる幸福。血も肉も体温もない、理想の貴方を窓辺に飾る。青空を背に、歓喜するほど美しい白が、カタカタと風に鳴いた。...
「花。夜に出歩くな。不審者情報を知らないのか?」「ごめん、家族にコンビニで買い物を頼まれたの」 本当は言い出したのは私で、ただたんに肉まんが食べたかっただけなのだけど、家族から渡された買い物メモが良い仕事をしてくれた。大神君はまるっと信じたようだ。「いや、危ないだろ。おまえの家族、危機管理が足りてないぞ。大丈夫か?」 あきれたような大神君の表情に、てへっと笑った。「私の逃げ足の速さを知ってるからね...
夕方からチラチラと散り始めた風花は、積もることなく夜闇に舞っていた。 こんな寒い夜はコタツから片時も離れたくない気持ちが強まるけど、それ以上に猛烈に肉まんが食べたくて仕方なかった。なにしろ今週は、大神君成分が足りないのだ。 初めて一緒に帰った日から、約束してもないのに一緒に学校を出て自宅まで送ってくれるようになり、慣れてきた頃合いで「気を付けて帰れよ」と教室で別れるようになった。 理由はわからな...
ぴゅうっと冷たい風が鼻先をなでた。 過ぎていく冷え切った空気は、冬の気配に満ちている。 授業が終わって、教室を出る時から、大神君は私の横にいた。 図書室で本を返し、目星をつけていた本を借りる間も、大神君は面白そうに私を見ていたから、ガラにもなく緊張してしまった。 好きな書籍のタイトルを見られるのって性癖を丸出しにしている気がして、生々しい脱衣を見られるよりも恥ずかしい気がするのは、私だけだろうか...
隣の席の大神君には、立派な獣耳がある。 少し青みがかった白銀の獣耳はふわっふわで、硬そうな黒髪の中からニョッキリ生えていて、教室に差し込む太陽に照らされるとすごく綺麗で、本当に良い獣耳だ。 触りたいな~と思うけれど挨拶以外で大神君と関わる事はないし、なにより私以外の誰にも獣耳は見えてないみたいなので、知らないふりをしている。 入学した時から獣耳が気になっていて、同じクラスになった二年生の今年は大...
山の竜とフローレンスが、その生活に徐々に慣れている間。 はじめは穏やかだった山の周辺も、徐々に騒がしさを増していました。 フローレンスは姿かたちだけでなく気質も美しかったので、とても愛されていたお姫様でしたから、取り戻そうと動く人間がたくさんいたのです。 フローレンスの国だけではなく他国の者も合わさり、多くの騎士や軍隊が山の竜の住処を目指していました。 それでも、山の竜の住処は岩山の連なる特別な...
人には人の王がいるように、山や海や空にもそれぞれを統べる竜が居ました。 竜からしてみれば、王のように君臨するつもりも支配する気はありませんでしたが、竜は悠久ともいえる長い時を生きるうえに、力も強く神秘の力を持っているので、いつの間にか統べる者として認識されていたのです。 生物として突出した存在であるがゆえに、小さな他種族から頼られることが多く、些細なことから少し手のかかる事まで願われました。 そ...
「あっぶねぇー!」 ドン! と背中を押されて吹っ飛んだ瞬間。 隣から伸びてきた見知らぬ腕に、腰を巻かれた。 掃除当番でゴミ箱を抱えて階段を下りていた途中だったので、その腕が止めてくれなかったら、私は階段数十段分の高さを空中ダイブしていたに違いない。 ありえないほどの腹部圧迫で「ぐえっ」と思わず変な声が出るぐらい勢いがついていたけど、危機一髪で階段落ちから助けてくれた人の腕は力強くて、私の体重にも揺...
恋は人を愚か者に変えるらしい。 ならば感情で動く今の私は、激しい恋に落ちている。 金の靴を残して消えた、金の髪と青い瞳の美しい乙女に恋をした。 彼女は魔物を倒し囚われた私を開放すると、あっという間に姿を消してしまった。 あの日からずっと。 月の輝く星のない夜に現れ、金の靴を残した不思議な彼女を、ただひたすら追い求めている。 どこから来て、どこに消えたのか。 彼女の全てが謎めいていた。 華麗に戦っ...
白雪姫は目を覚ます。 山頂のゴツゴツした岩場に置かれた、寒々しいガラスの棺の中。 二度、三度と緩やかにまばたいて、透明な蓋に細い指先を当ててそっと押し上げた。 華奢な体を起こし、ふと、目覚める直前に喉の奥から転げ出た毒林檎の欠片に気付いて、ポイと遠くへと投げ捨てる。 冷たい冬の空気を大きく吸って、吐いて、棺の中に座ったまま、そっと視線を傍らへと投げた。「姫様、首尾はいかほどに?」 ひっそりと控え...
オオカミを割腹すると宇宙だった。 丸々と大きく膨らんだ腹を裂いた切れ目のその奥に、どこまでも果てのない暗闇の深淵を彩りながら、赤や青に煌めく星に似た輝きが幾つも煌めいていたのだ。 「これはいったい、どういうことだ?」 茫然とした顔でつぶやいたのは、ナイフを手にした狩人である。 人食いオオカミが近隣の村や森に出ると聞いて、警戒がてら様子を見て回っていた気の良い青年だった。 森の中にある老婆の家を訪...
彼の名前はクレヒト・ループレヒト。 数年前から頻繁に研究のため地上と月を行き来し、とうとう地球に移住してきた祖父のお気に入り。 祖父が亡くなる一か月ほど前に研究のため同居を始めたが、今はシュエの保護者でもある。 血縁はないが祖父の養子になったので、書類上の叔父になる。 地球に永住を決めた者同士ではよくある事だが、甘えるには他人である。 大地が恋しくなるには、ある程度は歳を重ねた者か幼少期に地上を...
北限に立ち、夜明けを見る。 ただそのためだけに、ザクザクと雪を踏みしめて、シュエは岬の岩場を目指していた。 先月、祖母の後を追うように、祖父も亡くなった。 すべての手続きを終えて地球で生きると決めて、なんとなく夜明けを見たくなったのだ。 北限は吹雪く日も多く、思い立ってもなかなかその機会は訪れなかった。 久しぶりの晴れの訪れは唐突で、雪どころか風もなくシンと恐ろしいほどに静かだ。 北限に近い土地...
空は快晴。 天高く晴れた空は底抜けに青く、雲一つなかった。 足を踏み入れた山はすっかり秋の顔をしていて、鮮やかな紅が目にまぶしい。 背負ったリュックはさほど重くないけれど、小一時間も歩けば息が上がってくる。 少しひんやりした秋の風は、火照ってくる身体にちょうど良かった。 ミッチリと密集した雑木もすっかり秋の色で、色鮮やかな美しい風景も、先の見えない獣道寸前の山道は不安をあおる。 登山というには軽...
天国と地獄は、いつだって隣りあわせだ。 文化祭で販売する焼き芋機の試運転で出来上がった焼き芋の試食は、準備する生徒の特権でもあるのだけれど、焼き立ての芋を手にしたまま晶くんを見つめる数人の喉がゴクリと鳴った。 ふんわり色付いた晶くんの頬のほうが焼き芋より美味しそうだ、なんて、いけない事を先輩たちも声に出さず思っていそうな眼差しになっている。 同じ一年で、同時に入部している、希少女子の私と話すより...
月が出ていた。 透き通るような銀盤に、そういえば中秋の名月ってそろそろだったっけなと思う。 終わったのか、これからなのか、今ひとつ覚えていないけれど、まぁるい真円に少し足りない歪さが不安定な気候にピタリとはまっている。 日中は半袖でちょうど良かったから、こうして陽が落ちてしまうと肌寒くて、本当に秋になったんだなぁと感じる。 ほわぁぁ~とのんびり空を見上げていたら、後ろから声をかけられた。「おいコ...
あたしは今日も食べている。 お腹がたぷたぷになっても気にせずに、ゆっくりモグモグ咀嚼する。 山盛りのパスタに、どっしり分厚いステーキ。 背油を散らした濃いスープ麺に、風味多彩なスパイス煮込みも湯気を立てている。 グツグツ煮立ったオリーブオイルと海鮮たっぷりのアヒージョも最高だから、パンのお代わりをちょうだい。 フワフワやわらかなケーキに、サクサク歯ごたえの良いクッキーに、喉越しひんやりのアイス...
宝月祭が終わってもラタンフェの街は賑わっていた。 当初予定していた期間よりも長く、三か月間滞在していた部屋を引き払うため、ミントは荷造りをしていた。 臨時で務めた治療院も二週間前に辞めて、純粋に観光も楽しんだし、祭りが終わった後の日常の港町の暮らしも体験した。 ローも同じように宝月祭後も漁師たちと海に出ていたが、ミントと同じころに船を降りて、ミントと一緒に観光したり、今のように港街のリサーチに一...
最終日の夜更け。 ミントとローも人の流れに乗って、海岸へと向かって歩いていた。 サワサワと海風が優しく頬をなでる。 宵から深夜にかけて、神殿横の桟橋や街近くの海岸に人が流れるように歩いていく。 宝月祭の最終日になると人々は、海に向かって願い事を乗せたランタンを流すのだ。 漁師たちが水揚げした怪魚マカラタを原料にしたランタンは、薄い膜を張りあわせて小さな船型に加工されている。 マカラタの粘液を加工...
宝月祭は三日三晩続き、最終日に願いを乗せたランタンを海に流す。 それまでは昼夜を問わずお祭り騒ぎで、大通りにはズラリと隙間なく無数に露店が並び、中央広場の舞台では演劇や大道芸も間断なくおこなわれている。 神殿に行けば舞や歌を奉納する祭事が続き、神殿前の広場では昼夜を問わず祝福を込めた細工物が用意されていた。 貝で出来た螺鈿細工や魚の骨であつらえたペンダントや腕輪が定番だが、アクセサリーに限らず財...
気が付くと、空中高くに放り出されていた。 銀の月が見えたかと思えば逆さまになり、ミントは勢いよくドボンと海へ頭から墜落する。 落ちた衝撃でつかまれていたはずの腕からローの手が離れ、グルグルと回りながら身体が深く暗い海底へと引き込まれていく。 水を飲み込まないように息を止めても、全身を押し包む冷たさは凍えるほどで、ミントは身体をこわばらせていた。 身体を推し包む水の冷たさに思わず息を吐き出してしま...
在りし日の美麗な船は、今や、見る影もなかった。 帆柱はへし折れ、国籍旗のポールは跡形もなく、船内の壁だけでなく舷側もまだらに崩れ、甲板に黒々と開いた大穴は船底近くまで月光を届けている。 甲板上の捕縛用の魔法陣の横。 惨状としか呼べない船上で、ミントは額の汗をぬぐった。 累々と転がっているケガ人だが、とりあえず目につく負傷は、命に問題のないところまで治せたと思う。 それでも、こんな時には考えてしま...
吹き込んできた潮風は、ホコリや破片で濁っていた空気を押し流した。 よどんでいた室内の空気も澄みつつあって、ローは手元に戻ってきた魔槍を右手でつかみ、軽やかにクルリと回して肩に当てる。「うるせぇ誘拐犯だな」「僕らは国籍旗も掲げず、不法停泊している船舶の確認に来ただけっす。国民の拉致監禁に関しても、投降するなら今っすよ。観念するならよし。抵抗するなら強制確保っす」「はいこれ」と懐から取り出した書状を...
ゆらゆらと波に揺れる感覚でミントは目覚めた。 子供の頃から、神の手の意地ともいえる指導の下、犯罪に使われやすい薬や毒には体を慣らしているので、基本的に抵抗値が高いのだ。 使われた薬の種類も匂いでわかっているので、意識さえ戻れば解毒も即座にできる。 とりあえず、現状を考察した。 ロザリンデの部屋で会話をしている最中に、窓から不法侵入した男三人に攫われた。 今は袋詰めされたまま、小舟で運ばれているの...
頼りなく揺れる波の不規則な感覚に、ロザリンデは意識を取り戻しつつあった。 それでもまだ半分は夢の中であり、誘拐され袋詰めされたまま運ばれている。 薬剤や毒には体を慣らしているので、誘拐犯たちが思うより覚醒が早いのだろう。 攫われる理由については、ありすぎてわからない。 なにしろロザリンデは海洋王国ドラクルの第一王女で、つい先日までフラメル国の正妃でもあったからだ。 海路の確立。交易の利潤拡大。人...
宝月祭前は街中に人が集まっているので、岩場の多い街はずれの海岸は人目に付きにくい。 ほんの少し前に太陽も沈みきって、辺りはヒタヒタと迫る夜に染まりつつある。 立ち寄る者はほとんどいないが、観光客がぽつぽつと夜の散歩に訪れることもあり、男三人が岩場にいても不自然に見えなかった。「それで、てめぇはどうすんだ?」 唐突に尋ねられたダンテは「え?」と驚きの声を上げた。 ローに投げかけられた質問の意図がわ...
いよいよ明日は宝月祭である。 祭りの三日前から早めに治癒院を閉めているので、昼食前に仕事は終了する。 そのかわり街角に治癒スペースが設けられ、職員が順番で待機することになっていた。 ミントのような新婚や、婚約者がいる者はパートナーとの時間を優先させる決まりがあるので、仮治癒所の待機番も免除されている。 だからミントは宝月祭が終了する三日後まで、仕事はお休みになる。 ジルが迎えに来たので一緒に昼食...
宝月祭まで一週間を切ると、マカラタ漁も儀式めいた要素が強くなる。 祭り用の素材としてではなく、神への奉納品としての漁に変化していた。 奉納品は銛で突いたりせず、魚体を傷つけぬように網で囲い込んで捕らえていく。 銛を投げる機会がなくなり、それでもシャークゥへの威嚇要員として船に乗り込んでいるローは退屈そうな顔をしていた。 船から降りる選択肢がないわけではないが、寄せられた期待に「ちーとばかし目立っ...
自分ではない体温に包まれて、ウトウトとまどろむ。 抱き寄せられる多幸感に満たされ、輪郭もおぼつかない幸福な夢を見ていたら、ふわりとスパイスの香りが濃くなり、意識が浮上していく。 クッキリと目覚める前に、眠りに落ちる前は側にあったぬくもりが消えていることに気付いて、ハッと本格的に覚醒して飛び起きた。 そのまま立ち上がろうとしたところで、へにゃへにゃとその場に崩れ落ちる。 疲れて眠ってしまうぐらい身...
本当に、少しだけのつもりだった。 けれど、話し始めるとおっとりしたロザリンデは声音同様に穏やかな人柄だった。 それに、訳あり事情に触れないように話題を展開すると、お互いに自分のパートナーに関する話になる。「わたくし、ダンテには苦労を掛けてしまって……気にしないで下さいと言われるたびに、申し訳ない気持ちになってしまいますの」「私もです。守ってもらえるのは嬉しくても、ローさんのために出来る事って、あま...
宝月祭が一週間後まで迫った休日。 ミントは久しぶりにのんびりと一人で過ごしていた。 本来はローも休日だったが、宝月祭の直前まで船の護衛としてマカラタ漁に出向いている。 なんでもマカラタを捕食する、肉食のシャークゥという巨魚が現れたらしい。 マカラタ漁には付き物のシャークゥだが数頭の群れで行動するし、漁のために群れから引き離したマカラタの個体を狙うのが厄介で、たまに船そのものも狙われるから討伐する...
鷲摑みされて、さんざん顔面を締め付けられた後。 ジルはどうやったのか上手くローの手からシュルリと逃げ出して、離れたところで降参とばかりに両手を上げた。 糸目がニィと緩やかに弧を描くと同時に薄い唇も弓型になり、人の良さそうな笑顔をつくった。「お二人さんの仲が良くてなにより。とりあえず、再会の祝杯でもどうっすか?」「おひとりさまを楽しめ。デートの邪魔すんな」「ちょっ! 呼びつけといて理不尽! 傷つい...
ラタンフェに滞在して10日も過ぎれば、港街での暮らしにも慣れてくる。 仕事が終わってから、久しぶりに外食でもしようと、ミントとローは湾岸沿いの屋台を目指していた。 東にある湾を見下ろす小山も、西側の海岸へと続くなだらかな丘も、立ち並ぶ数階建ての建物も、神話から抜き取ったひとつの絵画に似た美しさがあった。 古い石造りの街並みも窓辺に飾られた花によって鮮やかに彩られ、大きな通りを行きかう雑多な人々の...
商店街の横にある大きな治癒院に、臨時職員としてミントは勤めることになった。 宿から見ると大きな商店街を越えた反対側なので、通うのに近いとは言えないが遠くもない。 大祭の前後は現地住民だけでなく観光客も爆発的に増えるので、当然ながらケガ人や病人も増える。 そのため大祭に合わせた期間限定とはいえ、旅に流れている治癒師も雇用先を見つけやすいのだ。 ましてや交易も盛んなラタンフェは元々の人の出入りが激し...
国の南端にあるラタンフェは、大きな湾に面している中規模の街だ。 外交の拠点になれるほどの大きさはないが、外国との交易も活発で、地域産業である漁業も盛んな豊かな街である。 雑多な人種の出入りが激しいので、街の者も余所者に慣れていた。 ラタンフェ名物の宝月祭は、満月の夜に行われる。 無数のランタンを灯して街を彩るさまは幻想的で、豊穣と祝福を祈る大祭なので、国内だけにとどまらず外国からも訪れる者が多い...
どれほど眠ったのかはわからない。 ざわざわと人の動き回る気配に、フッと目が覚めた。 気が付くと、朝が来ていた。 扉代わりの布がめくり上げられ、簡易鎧を身に着けた見知らぬ騎士が顔を出す。「気が付かれましたか? 簡単ではありますが食事を用意しました。朝食の後で移動しますので同行ください」 昇り始めたばかりの太陽と、しっとりと露を含んだ空気があたりに満ち、ラージはそろそろと身を起こす。 幌馬車内にいた...
そうこうしているうちに、いよいよ王都への最後の難所に差し掛かる。 昼も夜もなく走り続ける強行軍で、がたつく幌馬車の中で気絶するように眠るしかなかったが、難所を通り抜けるのが夜になるとはついていない。 数回王都に出向いたことのあるラージでも、切り立つ岩場に挟まれた峠道は思い出すのも気が滅入った。 切り立った岩山をゆるく巻くように削り取られた道の片側は、切り立った崖の場所も多く、両側に岩場がある場所...