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tomo
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2012/12/16

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  • 一つの「区切り」として、ブログを卒業します。

    一つの「区切り」として、ブログを卒業します。

    主人の闘病、義家族との確執、死別後の混乱した気持ち。ブログを書くことで、頭の中を整理したくて、寂しさ悲しさをぶつける場所がほしくて、そして、できれば義家族への恨みを乗り越えたくて、書き始めたこのブログ。今振り返って、本当に、書いてよかったと思っている。おかげで、自分の頭と心が少し落ち着いたかなという気がする(義家族との確執はどうにもならなかったけど)。主人を亡くして、悲しくて辛くて、どうしようもないときに、藁にも縋る思いで探した「死別ブログ」。一番共感できたのは、自分の心の混乱をそのままぶつけているようなブログだった。だから、私も、そのときの自分の落ち込み、苦しみ、悲しみ、恨みなど、あらゆる気持ちを思いっきりぶつけたブログを書こうと思った。それは自分のためでもあったが、同じように苦しんでいる人たちの助けになれば...一つの「区切り」として、ブログを卒業します。

  • 最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その3

    最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その3

    さっそく、この「1セントコイン」の話を子供たちにしてみたら。・・・大爆笑された。「ママ、テレビの見すぎ」「前からあったんだよ、そのコイン」「ワハハ、ワハハ」まあ、これが当たり前の反応だろうなぁ・・・。他の方のブログのコメントにも書いてみたのだが、これという反応はなかった。まあ、反応のしようも無かったんだろうなぁ。そうだよね、誰にも信じてもらえないよな。こんな夢みたいな話・・・。そう思いながらも、ある日、母に電話してみた。「実はね・・・これこれこういうことがあったんだよ」また、笑われるんだろうな、と思った。でも、意外な反応が返ってきた。「いや、それ、あの人ならありえるかもよ。あの人のあなたへの愛情はすごかったもんね・・・。」悲しみのあまり、馬鹿なことを言い出した娘にたいする同情の気持ちからだったのかもしれないけれ...最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その3

  • 最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その2

    最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その2

    主人が亡くなり、主人の遺品を整理しているとき、「金のネックレス」が出てきた。台湾の人たちは、首や手首に装飾品をつけていることが多い。それは、単なる「アクセサリー」ではなく、たいがい、何らかの意味を持っている。たとえば、パワーストーンとして知られる「水晶」や、縁起のいい「玉」で作られたブレスレットとか。あるいは、信仰する寺で買った数珠だったり、お守りをネックレスのように首からかけていたりとか。主人の場合、初めて出会ったときから「金のネックレス」をつけていた。日本で、「金のネックレス」をつけている男性というと、あちら関係の方?とか思われてしまうかもしれない。私も最初に主人のネックレスを見たときは、「この人、危ない人?」と思ってしまった(正直に言うと、そういう「ちょっと危険な」雰囲気に一目で惹かれてしまったのだけど)...最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その2

  • 最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その1

    最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その1

    そろそろ卒業かな、と言いつつ書き続けたこのブログ。最後に、「このブログの終わりに書きたい」ということを書いて、いちおうの「最終章」としたい。私は、主人の死後、起こったある「奇跡」によって、主人の霊というか魂の存在を信じている。そして、主人が今でも私を見守っていると言うことを。それは、主人と私が付き合い始めた頃に、はじめて見た「ゴースト・ニューヨークの幻」という映画と深く結びついている「奇跡」だ。ということで、映画のストーリーを振り返りながら話をしたい。・・・温厚誠実な銀行員サム(パトリック・スウェイジ)は、陶芸家として成功しつつある最愛の恋人モリー(デミ・ムーア)と幸せな時間を過ごし、同僚の友人カール(トニー・ゴールドウィン)とも良好な関係を維持しながら順調に仕事をこなし、平和な日々を送っていた。ある日、銀行の...最終章・主人の霊を信じるきっかけとなった「奇跡」・その1

  • こうなる運命だと知っていても、私は主人と結婚しただろうか。

    こうなる運命だと知っていても、私は主人と結婚しただろうか。

    このブログを書いたもう一つの目的。それは、「主人の問い」への答えを見つけるためだった。主人は病気になってから、よく私に独り言のような口調で言ったものだ。「俺はtomoと結婚して幸せだけど、tomoはそうは思っていないだろうね。」「俺はこうなる運命だと知っていたら、tomoと結婚しなかったよ、だって、こんな辛い目に遭わせたくなかったもん。」本来は、「そんなことないよ。あなたと結婚してよかったよ。」と言えばよかったに違いない。でも、台湾に来て、義家族との確執も含め、あらゆることに打ちのめされていた私にとって、この問いに答えるのは、難しかった。主人に、こういうふうに言われると、私はバカ正直に、困った顔で、「う~ん・・・」としか言えなかった。今振り返ると、主人には、本当に申し訳なかったと思っている。でも、私は、正直、あ...こうなる運命だと知っていても、私は主人と結婚しただろうか。

  • 死ぬときは、「大石内蔵助の辞世の句」のような心境になりたい。

    死ぬときは、「大石内蔵助の辞世の句」のような心境になりたい。

    忠臣蔵であまりにも有名な大石内蔵助。実は、彼の辞世の句をこの前、初めて知った。忠臣蔵はもう何回もテレビで見たのだが、最期の切腹のシーンは見ても、彼の辞世の句にまでは、全然、注意してはいなかった。それが、先日、なんとなく、本当になんとなく歴史の本をパラパラとめくっていたら、大石の辞世の句が載っていた。ご存知の方も多いだろうけれど、一応、引用すると、以下の通り。あらたのし思ひは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし意訳:思いを晴らして死んでいくのは、何と楽しいことよ。見上げる月に雲がひとつもかかってないように、私の心は澄み切っている。この句を見たときに、ああ、大石内蔵助は、本当に苦しく辛い思いを抱いていたのだな、と感じた。彼の辛苦は、「忠臣蔵」であまりにも有名だ(もちろん、多少脚色はされているだろうけれど)。「お家...死ぬときは、「大石内蔵助の辞世の句」のような心境になりたい。

  • 私は怒りで悲しみを封印しているのかもしれない。

    私は怒りで悲しみを封印しているのかもしれない。

    どなたかのブログでのどなたかのコメントで読んだことがある(すみません、本当に忘れてしまいました。)「悲しみや寂しさを抑えるつけるために怒りや憎しみが発生することがある」という意味のことを。(あくまで記憶で、正確な引用ではないのだが。)そのときに、「あ、これは私のことだ」と思ったものだ。主人の死後、義家族の私たちへの対応は、予想を超えたものだった。しかし、もし私が「どうせ義家族なんてそんなものだ」と割り切れる性格ならば、こんなにこだわることはないかもしれない。こんなに詳細に、怒りのままにブログに書いたりはしないかもしれない。私の、義家族への「怒り」というか「憎悪」というのは、もしかしたら「主人を失った悲しみ」の反動なのかもしれない。たしかに、義家族について考えているときは、主人との別れの悲しみを忘れてしまう。もし...私は怒りで悲しみを封印しているのかもしれない。

  • 江藤淳の「遺書」への憧憬

    江藤淳の「遺書」への憧憬

    前回、「そろそろ卒業かな」と書いたが、あと少しばかり、書いておきたいことがある。その一つが、江藤淳の「遺書」についてだ。正直、私には江藤淳の作品はあまり「肌が合わない」。言っていることが間違っているとは思わないのだが、なんとなく、文体というか、表現と言うか・・・なんとなく「合わない」のだ。でも、私は江藤淳の「遺書」は、近年まれに見る「傑作」(こういう言い方をしていいのか分からないが)だと思っている。これを、初めて新聞紙上で読んだときの「衝撃」と「感動」は、今も忘れられない。江藤淳は、その前年、慶子夫人を癌で亡くされていた。そして、次の年の1999年7月21日、鎌倉市西御門の自宅浴室で剃刀を用い、手首を切って自殺。享年66歳。夫人を亡くした衝撃に加え、江藤淳自身も脳梗塞の後遺症に悩んでいた。遺書の全文はあまりにも...江藤淳の「遺書」への憧憬

  • 私はブログに救われた。

    私はブログに救われた。

    ひとしきり、やるべきことは済ませたとき。「主人がこの世からいなくなってしまった。」その事実が、麻痺した脳にもだんだんにしみこんで来た。主人は、いない。もう二度と会えない。もう二度と抱き合うことができない。二度と、「tomo」と呼んでもらえない。まるで、ブラックホールに落ちたような感覚。暗く、寂しく、虚しく、悲しい。とにかく、誰かに、助けてもらいたかった。私は親に、友人に、知り合いに、電話をし、メールをし、手紙を書いた。でも、正直に言えば、誰一人として、私の心に響くような返事をくれた人はいなかった。今考えてみれば当然だ。私の周りの誰一人として、「配偶者を亡くす」という体験をした人はいなかったのだから。帰ってくるのは、ごくありきたりな答えだけだった。「子供のために頑張らなくちゃ。」「子供を守れるのは、あなただけなん...私はブログに救われた。

  • 頭の中で「わかれうた」が流れ続けた。

    頭の中で「わかれうた」が流れ続けた。

    主人の葬儀などは、当然だがすべて台湾式で行われた。葬儀屋さんとの打ち合わせ、式の準備などは、すべて義姉と義弟がやってくれた。義母は叔母たちに支えられて、なんとかその場にいた。台湾では(中華文化圏ではそうなのかもしれないが)、親が亡くなったとき、喪主を務めるのは、子供たちだ。子供たちは葬儀屋さんやお坊さん(うちは仏教だったらしい・・・このとき始めて知った)に、いろいろなお祈りの手順を指図され、葬儀の中心となっていた。配偶者(妻)の出る幕はない。私は端のほうで黙って座っているしかなかった。でも、弔問に訪れてくれた方々が、皆さん、私のところまできて頭を下げてくれた。私の友人も、職場の人も来てくれた。「子供たちのために、頑張ってね」「思いっきり、泣いていいんだよ」「寂しかったら、いつでも連絡してね」皆さん、温かい慰めや...頭の中で「わかれうた」が流れ続けた。

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