京都写ん歩 再び、くろ谷さんへ
5月12日昨年に続いて、京都市左京区黒谷町にある浄土宗大本山紫雲山金戒光明寺、通称「くろ谷さん」を訪れました。知恩院と並ぶ格式を誇る浄土宗七大本山の一つです。そして、幕末期には京都守護職本陣が置かれた場所でした。徳川家康は金戒光明寺と知恩院を庇護し、京都防衛と朝廷に睨みを効かすため、二条城とともにこれらの寺院を城郭構造に改めました。幕末期になり、会津藩主松平容保が文久2年(1862年)に京都守護職(京都の警備組織の長)に就任すると、金戒光明寺を京都守護職会津藩本陣とし、藩兵1,000人を京都に常駐させ、尊王攘夷派の取締りにあたりました。薩長を中心とする新政府軍と幕軍が激突した鳥羽・伏見の戦で殉職した会津藩士を弔う会津墓地もあります。立派な山門は、万延元年(1860年)に建立され、後小松天皇宸翰「浄土真宗最...京都写ん歩再び、くろ谷さんへ
2024/05/21 12:00