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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き
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2017/07/18

  • すぐ鼻の下の幸せ?

    朝夕の温度差、いわゆる温度の日較差に着替えを頻繁にくりかえる毎日である。昨日、今日と連続して日中はかなりの温度になって、場合によっては暑さすら感じる。忘れていたが我が家のカーポートの下で冬を越した赤紫のサフィニアが見事な花を三つ、「忘れていませんか私のことを」と言わんばかりに咲き誇っている。一年草とばかり思っていたこの花は調べてみると案外冬を越せる生命力を持っていることを知った。冬の間、たま~に水をやる程度で特に面倒を見たわけでもないのに季節が巡って暖かくなると律儀に花を咲かせてくれる。サフィニアの花言葉は“咲きたての笑顔”と言われていることを知った。見ている人を笑顔にしてくれる咲き姿がそんな花言葉を生んだのだという。花は皆、そのような雰囲気を持っているとは思うけれど、桜やこのサファイアなどは寒い冬を越し...すぐ鼻の下の幸せ?

  • 後で気分が良いことと悪いこと

    喫煙者が吸い殻のポイ捨てをする行為と同じ次元の問題なのだろうか。菓子パンやコンビニで売っているおにぎりの外袋を道に捨てる人がいる。毎日ではないが2,3日に一度という頻繁さである。家の周りを掃除するのも僕の1日の日課だが、いったい誰が、と興味を持った。朝の時間帯を考えるとどうやら中学生の仕業であるという推察が成り立った。家の周りのゴミ拾いは別に気にもしていないが、気になるのは朝の通学時間にパンだのおにぎりを歩きながら食べるということや袋を道に捨てるという行為である。昨今の社会問題を反映しているような気がして背景を想像してしまう。例えば、母親が朝早くから仕事に出かけなければならなくて、「おにぎりでも買って食べといて」などという会話が聞こえてくる。いや、単にゆっくり朝食をとっている時間がないのではないか。そんな...後で気分が良いことと悪いこと

  • 老人は何を指折り数えて生きるのか

    少しは割り引いて受け取らなければならないが、年齢をだいたい70歳前半に見られることが多い。嬉しい気もあるが、僕本人は実際のところ何をするにもやや大義感があり、世間でいう“80歳の壁”なるものと戦っているような気がする。これではいけないと足踏み体操をはじめ身体を動かす軽い運動を心がけている。そんな折、先日は僕の生活にちょっとした緊張が走った。いわゆる訪問販売だ。屋根の補修屋と名乗る若者が玄関ベルを鳴らした。丁寧な口調で「恐れ入りますが対面応対をお願いできますか」ときた。「隣の家の鬼瓦が落ちたのでその補修をしていて気付いたのですが…」と切り出して、僕の家の樋が枯れ葉で詰まっているのでその掃除と瓦のズレを矯正した方が良い、との提案訪問販売である。僕は暇さえあれば庭に出て草木の新緑を楽しんだりして家の周りを観察し...老人は何を指折り数えて生きるのか

  • 過剰放送は右の耳から左の耳へ

    40年ぶりのの古い友人との再会の約束に喜び勇んで大阪市内に出かけた。大阪メトロの本町駅は昼前の11時前というのにすごい人出で驚かされた。4月の今頃は黒いスーツにネクタイ、新入社員の活躍する時期だ。そう言えば僕が現役のコロナ以前、大学も4月は新入生でキャンパスが賑やかで駅と大学を結ぶバスも混み合ってほぼギュウギュウ詰めの状態だったことを思い出した。5月、6月と月が進むに従ってバスも電車も混み具合が解消されて移動がしやすくなる。いまだにこれが何を意味しているのかが理解できないでいる。急に新入生や新入社員がいなくなるはずがないんだから。それはそれとして、僕が驚いたのは本町駅のアナウンスである。電車の乗降に’降りる人を優先して前を開けて’というお願いとも注意とも取れる構内放送から始まって駅中にガンガン響く案内のア...過剰放送は右の耳から左の耳へ

  • “不器用?”気にしない、気にしない

    数日前、次のような文面のチラシを手渡された。「お近くの路上でガス工事を実施予定です。工事中は安全を心がけ、できる限りご不便のないよう努力して工事を進めますので、ご協力くださいますようよろしくお願いいたします」近所の新築工事もいよいよ大詰めを迎えたようだ。今日はその工事の日、車両の通行を制御する係の男性が二人、工事の進行に合わせて交通整理で大忙しである。自転車やバイクは通している。交通整理の男性の一人が相棒から怒鳴り散らされている。聞いていると通りかかってくる人や車の通行止めを説明して迂回してもらうことがうまく説明できていないようだ。おまけに手に持っている赤と白の旗をどうも間違う傾向にあるらしい。自分でも「不器用ですみません」と謝っていて、なんとなく気の毒になった。(僕:気にするな)昔、アメリカでクラムジィ...“不器用?”気にしない、気にしない

  • 洗濯と皿洗い、汚しては洗うの繰り返し

    桜を散らす先週末の鬱陶しい日々が一転、日曜日と昨日は少し強い風が時々吹くことがあったとはいえ素晴らしい春らしい日が帰ってきた。今日は春の陽気の中いつもの通り女房と二人で洗濯だの外干しなどをしてなんとなく気持ちがスッキリした。それにしても洗濯という家事は食事後の皿洗いと同様に終わりのない繰り返しの作業だ。洗っては汚し、汚しては洗うという繰り返しだ。近所で新築工事をしている大工さんの仕事のように毎日の仕事の成果が目に見えて出るという種ものではない。かつて半世紀も前になるだろうか、アメリカで知った「女性学Women’sstudies」を思い出す。女性の仕事とされたこの二つの家事からの解放が、女性の地位向上につながるなどという話をなん度も学生にしたことを思い出した。僕のアメリカ人の日常生活の話は世話になったアメリ...洗濯と皿洗い、汚しては洗うの繰り返し

  • “引っ越し”は何を語る

    春はお別れの季節だ、などという人の話を耳に挟んだ。春とは希望や期待の季節とばかり捉えていた僕を驚かせる言葉だった。なるほど考えてみれば外に向かって羽ばたく巣立ちの季節だと考えると、今まで自分を育んでくれた家族や友人とのお別れの季節でもあるのだなぁ。そう言えば、近くに大きなマンションがある。あまり気にも留めなかったが、そのマンションの前には連日引越しのトラックが駐車していて荷物を運び込んでいた。今日も雨の中を誰かが越してきたようだ。この季節は門出の時で特に若者がさまざまな目的を持って移動している季節なのだ。“お別れ”などと日本ではちょっとセンチメンタルな気分も味わう引っ越しではあるが、アメリカでは少し趣が違っていたことを思い出した。フリーウエイを運転していると引越し用のトレイラー、ユーホール(U-haul)...“引っ越し”は何を語る

  • 春は元気と期待と共にやてくる

    “春は日なたでは夏、日陰では冬Springisthetimeofyearwhenitissummerinthesunandwinterintheshade.”などと言ったのはあのチャールズ・ディケンズだ。社会の弱者の視点から世の中を見つめたこの作家の残したこの言葉は何を意味しているのだろうか。陽の当たる場所と人々、そして日陰の人々を風刺したものだろうとの想像に難くない。それでも素直にこの文を考えてみると、さすが文学者、春の季節の気温を的確に表したものだとつくづく思う。さて、現実に戻ってみると、桜もそろそろ散り始めた所もあるというニュースの裏で、元気に咲き誇っている桜が大半の日本の春が満開である。陽光に誘われて庭をぶらぶら、草木の新芽が新しい季節の到来を告げている。我が家の庭では樫の木や木犀の新芽が古い葉を...春は元気と期待と共にやてくる

  • 孫が来た。筋肉痛には二種類が

    最近の子供達はとにかく忙しい。時間がない。理由はお稽古事だの塾などと1週間のスケジュールがきちっと決められていて自由な時間が取れないのだ。そんな孫達が与えらえたたった1日のフリーな時間を利用して僕の家にやってきた。そこで考えたのが部屋の模様替え。僕が親からもらった立派な机、僕が社長机と呼んでいたものだ。とにかく重い代物で、部屋から部屋への移動はなかなか一人ではできない。そこで小学生の男孫と高校生の娘孫、そして僕の三人で移動を試みた。一旦は庭に運び出して玄関の広いドアから別の部屋に移動させるという作業である。部屋と部屋を結ぶ通り道が狭すぎて机を通す空間が確保できなかったからだ。なんとか1時間強で移動して部屋の模様替えは大体落ち着いた。今日は身体中が筋肉痛だ。ほんの数年前までは孫を抱っこする筋肉への負荷が、孫...孫が来た。筋肉痛には二種類が

  • 情熱があるから頑張れる

    優勝候補、大阪の桐蔭高校が出場する甲子園、朝の8時30分から放送が開始された。素晴らしい青空もの下での試合で良かったとはいうものの、「なんとまぁ早うからご苦労様やなー」という思いが。それにしても「人生、高校時代が一番輝いていた」と言う人が多いと聞く。僕が高校生の頃はあの有名な舟木一夫の歌謡曲『高校三年生』などの青春モノの歌が流行った時代だった青春を賭けて野球に一生懸命の高校生達を見ていると、一つのことに懸命に挑戦する姿に心を打たれる。相手の能代松陽は秋田の高校だ。息を呑む接戦に“判官びいき”が顔を出す。別に能代高校が弱いと言うわけではないが、冬が長い秋田の高校生が懸命にプレイする姿に贔屓(ひいき)心が芽を出すのだ。「成功とは努力に負うところが多いSuccessisdependentoneffort.」と言...情熱があるから頑張れる

  • 憧れているだけでは勝てない

    WBC、野球の世界大会の決勝戦、対アメリカ戦を前にして、あの大谷翔平が今後も長く引用されるだろう名言を残した。スター選手が集まったアメリカチームを前にして『今日1日だけは彼らに憧れるのは辞めて勝つことだけを考えていきましょう。さぁ、いくぞ!』と全員を鼓舞した。数時間後、日本時間の正午少し前、WBCは日本の優勝で幕を閉じた。投打共にMVPを受賞した大谷翔平の凄さを再確認させれられた。テレビに映し出される選手と応援に来た人々の嬉しそうな顔、顔、顔。マスクをとって、地肌の姿をみせた人々の笑顔は本当に素晴らしい。まさに、球場の人々は勝利に大喜びだった(Peopleintheballparkwereoverjoyedbythevictory.)あくびや眠気が伝染することは誰でも経験上知っている。これはいわば「負」の...憧れているだけでは勝てない

  • 忘れかけているものを思い出す

    春分の日、そして春のお彼岸、例によって今年もあまり僕の心にあることを思い通りに先祖に伝えることもできずに我が家の古い墓へのお参りを済ませた。ただ今年は少し今までと違って後期高齢者の新人の弟と後期高齢者のベテラン87歳の姉の三人でそろって墓参りを済ませることができたこと。ある意味、珍しいことだし喜ばしいことだ。先祖があるから今の自分がある、僕はそんな気持ちでいつも墓の前に立って手を合わせる。たったそれだけだ。先祖の供養をすることで、僕の家族を想う心と、感謝の思いが心の中に湧き上がる。やっぱりお墓参りは子供や孫、次の世代に受け継いでいくべき大切な日本の文化なのだと思う。ご先祖の皆さんは僕が会ったこともない人達だ。それでも心のどこかに彼らが生きているという気持ちを墓の前に立つことで表せたらそれでいい。僕という人...忘れかけているものを思い出す

  • ツクシん棒は物静かに顔を出す

    朝起きて新聞を取りに庭に出たときに、その日の気温がなんとなく推量できる。最近は本当に冬の冷気がすっかりなくなって、春を肌に感じるようになってきた。冬の寒さが和らいで桜の開花時期が世間を賑わすこの時期は実はツクシが顔を出す時なのだ。現役の頃、大学の校内の駐車場に続く土手に生えてくるツクシ採りを何度か学生と楽しんだことがあった。ツクシは漢字では「土筆」と書く。筆の毛の部分が上にあって棒の部分が土に刺したように生えるからだという。ツクシが最近は目にすることがなくなってきた。近代化の波がツクシの生育の権利を奪い、陽光の当たる土手が各地で亡くなってきたのがその理由だと聞いた。郷愁を呼び起こす物は人によって違うだろうが、お浸しにして卵とじにしたりして食べたツクシが懐かしい。ウイル・ロジャースというネイティブアメリカン...ツクシん棒は物静かに顔を出す

  • 恐怖!あなたは他人に見られている!

    マスク着用が緩和された昨日13日のこと。外に出かけてみると皆さんマスク着用である。特に立っている人がいない時間帯、電車の中を見回してみると全員、おっと一人だけがマスクなしで残りの乗客は全員マスクをしていて今までと全く変わりがない。テレビではコメンテーターと呼ばれる人や、新聞では心理学者と言われる偉い人が、日本人は同調圧力に対する抵抗力が弱いなどと言う意見を述べている。僕の意見は少し違うのだが、などと思っているのだが…。アメリカで社会心理学という授業でビデオを見せられた。「同調圧力とかサイレント・プレッシャーとかコンフォーミティ(conformity慣習などへの従順さ)」などと言う項目を学んでいた時だ。とても印象に残った授業で、赤い円(黒板の右に貼ってある)と、少し黄味がかった円(黒板の左側)を比べるのだが...恐怖!あなたは他人に見られている!

  • 「盛り上がり」の食あたり

    アメリカのオハイオ州にあるダブリン市の観光局から殆ど毎月メールが届く。10年ほど前にこの町を訪れて、観光局の訪問客名簿に名前を記入してから観光案内が届くようになった。僕が留学中にお世話になった家族の息子の一人ポール(もう70歳)がダブリン出身のアイルランド系アメリカ人女性と結婚してこの町に住んでいて現役の頃から4度ほど訪れて旧交を温めている。この町に出かける度に訪問客名簿に名前を記入する。(参考:アイルランドの首都はダブリン市)さて、細かい話は別にして届いたメールのタイトルは日本語に訳すのはちょっと大変だが次のようなものだった。“オハイオのダブリンで緑を付けて盛りあがろう(GetreadyforSomeShamrocks&ShenanigansinDublin,Ohio)”。3月17日はセイント・パトリッ...「盛り上がり」の食あたり

  • 卒業式は「啓蟄(けいちつ)」に似る

    今年の啓蟄は3月6日(月)にあたるという。啓蟄は気温の上昇ともに土の中から虫が外に出てくることを言う。春の陽光に誘われて人間も外に出て暖かい太陽に体を動かしたくなる頃である。僕も例にもれずに庭で過ごす時間が増えてきた。そんな折、何と庭のコンクリートの上を小さな毛虫があてもなくウロウロと歩き回っている。「外に出るのは早すぎるよ」と言いたくなる。下手をすればいずれ人か車に踏みつけられて命を落とすのがオチである。大学で長らく過ごした僕がこの時期に思い出すのは卒業式だ。だくさんの若者が啓蟄に時期を合わせたかのように学舎を巣立っていく。大学を卒業したと言うだけで、何も学びを手に入れなかった者もたくさんいたことだろう。人生という航海には持ち物の準備が必要だ。モーチベーション(意欲や動機付け)やエネルギー(精力、活力)...卒業式は「啓蟄(けいちつ)」に似る

  • 今日の決断が明日をつくる

    奈良に住む娘の家に出向く私用があった。高速道路を降りる1分前、立派なトヨタ車が猛烈なスピードで僕の横を追い抜いて、追い抜きざまに僕の前に滑り込んできた。何をそんなに急いで…高速を降りた先は信号のある四辻。赤信号に変わりぎわを突き切って遠くに姿を消した。何事もなくインターセクションを通り過ぎてホッとした。僕を追い越すという彼の決断は事故に結びつくことはなかった。一瞬の決断が運命を決するという忘れられない思い出がある。1954年、僕が小学生の頃だった。青函連絡船「洞爺丸」が台風15号接近が伝えられる中出港、沈没した事故があった。1,000人を超える犠牲者を出した大事故となった。北海道主張中の叔父が乗る予定になっていたために親戚中が大騒ぎとなって叔父の家に集まった。叔父からの連絡が入ったのは夜遅く。彼は船に乗っ...今日の決断が明日をつくる

  • 未来はわからないから面白い

    先日、僕の兄弟(80歳後半の姉を含めて)三人で食事をする機会があった。三人が仲良く暮らせていることには満足している。それはそれでいいとして、待合場所のレストランに向かう途中、同じ電車に乗り合わせたご婦人がいた。優先座席に座った僕の隣に座った彼女、ハンドバックの中から取り出したのはカバーのしていない文庫本。「占」「古典」というタイトルだけがチラッと読めた。本を目から15センチほどに近づけて僕が下車するまでの15分間読み耽っていたのだ。身体は少し痩せ過ぎているような小さなご婦人だ。歳の頃は60代初期か。僕はこの人のことが何故か頭から離れなくて、夜中に夢を見たほどだ。若い頃、占いか何かの力で将来を見てもらおう…などと冗談半分に友達に誘われて京都ホテルの近くで将来を占ってもらったことがある。ぼくは大器晩成型の人間...未来はわからないから面白い

  • 大工仕事にパーツの意味が見えてくる

    東大阪市で不動産が動き始めたのだろうか。最近は大小様々な古い家が壊されて、更地になって、気がつけば新しい家が建っている。僕の家の近くでも昨年の11月頃から古い家が壊されて、気がつけば更地になって、今では新住人の家の基礎部分が出来上がった。その家の部屋の配置などを想像することができるようになってきた。僕は特に覗き見や詮索好き的な趣味があるわけではないが、完成した姿を想像したりしていると好奇心が湧いてくる。思えば子供の頃から僕は大工さんの仕事を見ていて飽きたことがなかったことを思い出した。昔は家の改築などで庭に運び込まれた材木への大工さんのカンナの動きが大好きで、カンナから吐き出されるように浮き上がる薄い木屑(chip)に興味があってよくそれを使って遊んでいたものだ。それから、大工さんに釘の打ち方を教わったり...大工仕事にパーツの意味が見えてくる

  • ショッピングを楽しむ人は「うつ」にならない(?)

    昨日は機会があって日航ホテル大阪のロビーラウンジ・カフェでお茶をする機会があった。いつもの通り、ウオッチング(観察)開始だ。フロントを通り過ぎて右手にカフェがある。入口を入ったところにある最初のテーブルについていたのは三人のアメリカ人らしい男性達。コーヒやコーラをテーブルに、なんとカードゲームに興じているのである。どうやら奥さん達の女性軍は買い物に出掛けて男性軍はカフェで時間潰しということらしい。日本まで来て暇を持て余してゲームはないだろう、と思いながら男性と女性の興味の違いを考えてみた。何年も前、アメリカに学生を連れて行った時の現地モール見学のスケジュールでは女子は嬉々として買い物に走り回っていたことを思い出した。男子はフードコートで食べ物あさり。そういえば、アメリカに住んでいた時になぜ女性は買い物が好...ショッピングを楽しむ人は「うつ」にならない(?)

  • 生態系がうごめいている

    立春を過ぎれば三寒四温、寒い日と比較的暖かい日が数日づつ繰り返される。春がそろそろ待ち遠しくなってくる時節だ。時々、ふらっと散歩に出かけたりすると木々が各々のペースで蕾(つぼみ)を成長させながら春に備えていることがわかる。自然の営みは人間の知らぬところで確実に季節に備えていて、本当にすごいと感心する。次元が違うかもしれないが、数週間前に庭の片隅にネコのフンを発見した。ゴミ収集の日までと放置して紙袋に入れて捨てるのを忘れているうちに少しづつ何者かに分解されてほとんど土の状態になっていた。ふと、思い出したのが先日淀川の河口で死んだと伝えられたクジラの”淀ちゃん”のこと。和歌山県の沖合の深海に向けて沈められたと新聞が報じていた。その記事を積み重ねた新聞の古紙の束から必死になって探し出したら2月13日の記事だった...生態系がうごめいている

  • 他人の過ちを受け入れる寛容性

    スマホの“ながら操作”で起きる事故が散歩中の僕の数メートル後ろで起きた。普段は静かな古い住宅街に「危ない!」の悲鳴のような叫びは通りすがりのおばちゃんが発した叫び。歩きながらスマホに夢中の若い二十才頃の女性と僕の横を自転車に乗ってスマホを操作しながら数秒前に通り過ぎた30才過ぎの男性の“ほぼ”追突事故。“ほぼ”と言ったのは完全な追突は避けられたようだからだ。事故寸前に男性は自転車を放り出して飛び退いて、女性はポケッとした顔で固まっている。自転車が大きな音を立てて近くの家の塀にぶつかった。お互いに「すみません」を何度も繰り返して口論もなくことなきを得た。怪我がなかったから喧嘩にもならずに終わったのだろうか。知り合いでもなさそうな二人、同じコミュニティの住人同士だからの寛容性のなせる技なのか。それとも二人のど...他人の過ちを受け入れる寛容性

  • マスクの異文化理解

    「またマスク忘れた」、何度忘れたら気が済むのかとにかく頻繁にマスクを忘れる。スーパーに車で出かけて、エレベーター前に立った途端にマスクをしていないことに気がつく。コンビニに入った途端にマスクをしていないことに気がついて急いで車に。年寄りは歩くことが大切だと家を出て歩き始めて5分、通り過ぎる人を見て自分がマスクをつけていないことに気がづく。なぜ忘れるのか、原因はわからないから理由を歳のせいにしてしまう。とにかく今だにマスクの装着が身についていない。歳のせいだの習慣づけができていないだのと言うより不注意以外の何ものでもないと結論づけた。(家にはマスク屋ができるほどの新品マスクの山)半世紀以上も前、アメリカに留学中に風邪をひいてマスクを買いにドラッグストアへ。「そんなものは置いていません」とつれない返事。そう、...マスクの異文化理解

  • 卵の殻は壊される運命にある

    気がつけば4日の土曜日の立春を境に晴れた日は春の日差しの暖かさが感じられる。正月を祝っていたら、もう2月に入って1週間が経つ。「もう」と思う人と「まだ」今年はほぼ11ヶ月が残っていると考える人がいる。今年は良い年にするのだと頑張り始めたところだという人もいる。物事を楽天的に見るか悲観的に見るかでいつも引き合いに出される例えがある。今では使い古された名言のように思うが、「グラスの中の水がもう半分もなくなったちゃった」いや「水はまだ半分も残っているよ」という二つの表現だ。ふんふん、と納得しながら聞いていたのはひと昔前、最近は「まだ」とか「もう」に惑わされてはいけないと主張する人が出てきたのだ。グラスの中の水など気に留めず、一杯にしたかったらまた注ぎ足せばいいというものだ。僕はこの種の展開が大好きで、ものは全て...卵の殻は壊される運命にある

  • 社会の乱れを克服する知恵とは

    寿司に自分の唾をつけてレーンに戻すなど回転寿司店での客による様々の暴挙に驚きというか、信じられない失望感でいっぱいだ。テレビの動画に映っているのは子供ではないか。悪ふざけなどと済ませられる問題ではない。僕はアメリカに住んでいた頃(半世紀以上も以前)日本人の清潔感や人を思いやる気持ちを自慢げに話していたものだ。現在、日本の子供達の一部は自分が目立ちさえすればそれでいいという環境の中で育ってきたからだろうか、人の迷惑などは頭にはないのかとがっかりする。“善意と悪意(goodandevil)”そして“正しいことと間違ったこと(rightandwrong)”,そんな判断ができない大人や子供が日本に出現し始めた。今回の事件の張本人、親子で名乗り出て謝ったというが、これは謝って済む問題ではない。がっかりしているだけで...社会の乱れを克服する知恵とは

  • 「物忘れ」は嫌なことを忘れる練習

    歳をとると老眼鏡を探し回る人が多いと聞くが僕の場合はそこらじゅうに置いているのでその点は大丈夫。僕といえば家に居る時に何の気なく置いたスマホを探すことが頻繁になってきた。いやいやスマホだけじゃない。漢字が思い出せない、人の名前が出てこない。ここ二、三日の問題は断捨離をした後のシュレッダーするはずの古い不要書類がいつまでも別の部屋に残っている。ついでの時に、と考えたらもうおしまい。何故か思い出せなくて残ってしまうのである。「物忘れ」はよく半ば冗談で「認知症だ」とからかわれる。年寄りには恐ろしい一言だ。「物忘れ」は何かに関する単発の忘れ症状だ。それは老化によるものが多いという。一方、「認知症」はある事象の全体を忘れてしまうこと。何かをしたこと自体の全体を忘れているというか、それに関わった意識がない。ご飯を食べ...「物忘れ」は嫌なことを忘れる練習

  • 自分の道を創れ(Create Your Own Path.)

    最強寒波と言われる換気が日本列島をすっぽりと包んで、冷たい風が吹きつけて温度が低いものだからゴミ出しや家の周りの掃除などで外にいると手足の指が痛くなってくる。気づけばつっかけを履いた左足の中指が痛いというか痒いというか何年振りかの霜焼けである。とにかく冷たくて寒い。こんな低気温は本当に久しぶりだ。家に籠ってTVを見ていて、雪のカーペットに覆われた平原をサクサクと雪に足跡を残して歩く山岳愛好家の様子を見ていて思い出した。アメリカ留学時代に住んでいたのは学生結婚をした人達の住む大学施設の夫婦寮であった。幼稚園児ほどの子供を持つ学生夫婦からまだ赤ちゃんを育てている段階の夫婦までいろんな学生夫婦が住んでいた。僕もその住人の内のひと組なのだが、御多分に漏れず、僕の長女はここで生まれた。僕がまだ20代前半の頃だったが...自分の道を創れ(CreateYourOwnPath.)

  • 家族の約束事

    強烈な寒波が日本列島の上空に居座り、全国的に厳しい寒さに襲われるという。もちろん僕の住む大阪も寒気に包まれて、完全な巣篭もり状態だ。コロナの初期の巣篭もりとは全く違って、暖房をつけている部屋以外は冷気に占領されて僕の行動は完全に制限されている。寒いものだから何かをしようという気も起こらない。新聞やテレビではヒートショックに要注意、と年寄りを怯えさせる。屋内外の気温差が体調不良を起こすのだという。仕方がないので、2、30年前にアメリカで買ったお土産の収納ボックスを開けて少しでも断捨離を、と考えて取り組んでみた。懐かしいものがたくさんあって、なかなか捨てられるものではない。自分以外の人には不要なものになるかも知れないけれど、ま、とりあえずは娘達に大半を残しておくこととする。目に留まったものが一つある。ハウスル...家族の約束事

  • 子育てに右往左往はいつの世も

    1月20日金子育てに右往左往はいつの世も“静岡女性刺殺事件”、13歳の娘が就寝中の母親を刺殺の可能性が高いとの報道。また起こった惨劇に日本社会は、一体どうなってしまったのかと頭の中がクエスチョンマークでいっぱいだ。今回は時代背景を写し出すかのようにスマホ問題が絡んでいるという。スマホにとり憑かれたように友達との交信をはじめとして多くの時間をスマホいじりに費やす子供達は巷に溢れている。スマホは親の頭を悩ます心配の種であるとよく耳にする。スマホに支配されたいわゆる「スマホ脳」が生み出す不安定な精神状態が問題となっている。友達との連帯感はコロナで阻害されて、スマホでしか友達との接触ができなくなったこの時期の産物である。教育や子育ては非常に難しい時代になっている。子育て中の親にとっては自分の育ってきた時代の価値観...子育てに右往左往はいつの世も

  • 教師の誇りとは

    長い付き合いになった大学の教え子のゼミ生達がいる。先日、そんな彼らと会う機会があった。驚いたことに僕の80歳の誕生日を祝ってくれた。大学の教師になったゼミ生の(孫)ゼミ生と共にだからこれは滅多にないイベントだと思う。夜にベットに入ってからも興奮冷めやらず、その日の出来事をひとつひとつ振り返りながら教師になるとはどういうことなのか、いい先生とはどのような人なのか、一体何を教えようとしていたのか、などを整理しながらメモを取ってみた。もう現場を離れて何年もなることを忘れたかのようにペンが動く。まず最初に浮かんだ考えは、学ぶこと、知ること、は素晴らしいということを学生に伝えることだ。知識の種はいつかは芽を出す。格好の良いことを言っているようだが、当時は真剣にそんなことを考えていた。大学生は大人だ。自分の将来をイメ...教師の誇りとは

  • 過去、現在、未来は単なる幻想

    月日の経つのは早いもの、つまり「光陰矢のごとし」などということを思うのは大抵の場合、何かと忙しい師走を終えてホッとするときだ。今年はどうしたことなのか新年に入ってまだ1月の半ばというのに時間や日が経つのが早いと感じるこの二、三日だ。正月に家族が集まったりして楽しく時間を過ごしたと思ったら、成人の日、一部の若者の傍若無人ぶりに呆れていたら、松の内が明けたと言って年末に飾ったしめ縄やお鏡のお餅を下ろす時期になった。バタバタした昨年の年末が終わったと思ったら、もう新しい年への現実が始まる。何となく追い立てらる雰囲気はあるのだが、日本のしきたりのようなものは一つ一つの区切りというのだろうか、ケジメのようなものがあってそれに合わせて自分の心の切り替えができる。そう言えばアメリカにいた時は、このケジメのような心の切り...過去、現在、未来は単なる幻想

  • 「成人」は責任と共に

    改正民法で成人年齢が18歳にひき下げられた。今年の成人の日は昨日の9日の月曜日、各地でいろんな催しが行われたことだろうと思う一方で、成人になったという証の式は20歳になってからという傾向がある。自治体に任された式典の方法は成人式はやはり20歳にという傾向である。18歳はまだ高校生、大学入学に向けての共通テスト直前である。大学への受験勉強に忙しいだけでなくお酒は飲めない成人式は実感が湧かないというのがその理由である。改正民法でローンやクレジットカード契約が可能になったとはいえ、実際は彼ら新成人にとってはそれどころではないのである。成人の式典は20歳まで待つとして、各地では「成人の集い」と「二十歳を祝う会」の名称が18歳成人と晴れて20歳になった人の会が区別されている。大阪での「成人の会」は日本一の高さを誇る...「成人」は責任と共に

  • 老いと「虫のいい」的な生き方

    今朝はNHKプレミアムの『Pカフェ』と呼ばれる番組を見て1日が始まった。「2度目のハワイ」と名付けられたこの番組を見ていると、やはり寒い冬はハワイで過ごしたいと思う。僕は大学の仕事で何度も海外(と言ってもアメリカが大半なのだが)に出向く幸運に恵まれた。国際交流の用事も含めて何度かハワイに行ったことがあるが、ハワイは何より開放的であまり周りを気にしないで半パンツにT-シャツやアロハシャツという気楽さが楽しめる。とはいえ、暑い夏が来るとやっぱりどこか涼しい所がいい。日本の湿気が夏を余計に暑くするということを、何度も海外から帰国するたびに感じたからだ。飛行機を降りたとたんにどっと押し寄せるような蒸し暑さを経験したことがある人は多いことだろう。日本の蚊(僕の天敵)を筆頭にゴキブリ(妻の天敵)などの虫の活発な季節が...老いと「虫のいい」的な生き方

  • 正月に草木は静かに春を待つ

    毎年のことながら年末年始の時間の流れの早いことに唖然とする。忙しい師走だと騒ぎながら年賀状を書き終えて、25日のクリスマスはキリスト教徒の人たちにとっては冬の到来を実感する時なのだなぁ、などと考えていたら、31日。遠くから聞こえてくる除夜の鐘を聞きながら、「さあ、いよいよ明日は新しい年が始まる」、良いことが起こる年であったらいいのにと身勝手な期待に少しは心が弾んでいたものだ。年が明けて、孫などが集まって賑やかに新年を祝っているうちにあっという間に今日はもう3日である。暖かい正月三ヶ日が続いたけれど、昨年の暮れは12月22日の冬至と共に日本全国で寒さの厳しい日が続いた。『日本のことわざを心に刻む』(岩尾忠幸著、東邦出版)を読んでいたら“冬至冬中(ふゆなか)冬始め”なる諺があることを知った。冬至は冬の真ん中と...正月に草木は静かに春を待つ

  • 古き良き思い出"Good old days"

    毎年、毎年、今頃の時期には「一年って本当に早く過ぎるなぁ」という言葉を繰り返す。この時期はきっと何かを振り返る時期なのだと思う。一年が終わりに近づくと、どうしてもこの一年に起こったことを我々は思い出す機会が多くある。喜びを覚えた素晴らしいことであれ、嬉しくないことであれ、自分にとってあまり歓迎したくなかった苦しんだこと、辛かったことなどは忘れよう。さあ、来年は、来年こそは、という言葉につながっていく。僕の今年は、本当に不思議な一年であったと思うことが度々起こった。アメリカ留学に必死にアルバイトしていた僕を知る昔の京都の友人、アメリカ留学を終えて教え始めた語学学校の半世紀前の教え子、そしてアメリカで知り合った数人の友人から連絡があったことなどだ。一年のこの時期はこの一年に限らず、過ぎ去った昔のことも思い出さ...古き良き思い出"Goodolddays"

  • アメリカ人先生の駄洒落「クルシミマス」

    日曜日のクリスマスに思い出したことがあった。昔、大学でクリスマスは“クルシミマ〜ス(苦しみます、クリスマ〜ス)”だと言って学生を笑わせていた英語の先生がいた。アメリカの各家庭ではクリスマスツリーや子供達へのプレゼントの買い出しで苦しんでいるという話で教室を盛り上げていた。だいぶ気に入ったジョークなのだろう、何度も何度も繰り返すものだからいつの間にか学生の顰蹙(ひんしゅく)を買っていたのを思い出したのだ。まあ、昔の思い出はさておいて、僕はいつもどおり、周りの観察に余念がない。商業施設の変わり身の早さには驚かされる。月曜日に出かけたスーパーとホームセンターは、前日の日曜日はクリスマスムードでポインセチアの赤と緑と音楽がウキウキ感のある雰囲気を作り出していた。昨日の月曜日にはツリーもポインセチアもすっかり撤去さ...アメリカ人先生の駄洒落「クルシミマス」

  • 鼻くそ丸めて万金丹(マンキンタン)

    日本海側の各地で厳しい降雪の予報が続く。大阪でも今朝は庭や屋根に薄く雪が積もっている冷たい朝。久しぶりに白いものを見た。新聞を取りに庭に出た。世界で、日本で何が起こっているのかと世相をゆっくり分析するには新聞は欠かせない。世相を表す「今年の漢字」は”戦”だった。これを基にやっぱり平和がなければ何も始まらないことを再認識させられた、などと先日のブログに書いたところだが、もう一つ、世相を反映する「創作四字熟語」なるものの応募があることを知った。今年は”遠客再来”が選ばれたという。千客万来を捩った(もじった)ものでコロナ規制の緩和と沢山の観光客を歓迎すると言う意味らしい。プロ野球の日本シリーズで、バッファローズがスワローズを逆転優勝したことを”逆転牛勝”などというのもあったらしい。よせばいいのに僕だって、などと...鼻くそ丸めて万金丹(マンキンタン)

  • 昨年を思い出しながら考えた

    昨日は私用で出かけたが、齢のせいか寒さが身に沁みた。温度が低い上に冷たい風が吹きつける。去年の今頃の大阪の気温ははどうだったかが気になって僕の「出来事記録日記」を調べてみた。最低は大体6℃前後、最高は13℃程度ある。今年の最低温度はというと昨日は1.6℃、一昨日は3.4℃、これに冷たい風が加わるから体感温度はもっと冷たくて寒い。そんな中、短いスカートに脚は素肌を出して、上だけは分厚い防寒コートという出立のつけまつげ、年の頃なら18,9の若い女性が電車を待っていた。他人のこと、僕には関係ないけれど、首をかしげながら彼女の身を案じざるを得なかった。(風邪ひくぞ!コロナだのインフルだのと世間は騒いでいるのに…)ことのついでに調べたのが10大ニュースだ。去年の一位が「大谷翔平メジャーMVPに」、ついで「東京五輪の...昨年を思い出しながら考えた

  • 人は戦いの場を探している?

    今年の漢字は「戦」、つまり“戦い”だ。ある程度予想はできた感がある。昨今の“戦い”を振り返ってみた。持続しているコロナとの戦い、ロシアのウクライナ侵攻がその最たるものだ。人間は何らかの戦いの理由を探しているかのようにさえ感じさせるイベントは、次元は違うけれど、スポーツだ。今年のサッカーW杯を見ていると、やっぱり“戦い”という言葉がぴったり当てはまる。スポーツが実際の武器を持っての殺し合いの発散の代役を担っているとさえ思えてくる。僕は午前中、BSテレビで「街歩き」や「鉄道の旅」、などを見るのが好きだ。外国の街角を紹介しながら、その土地に暮らす人々との交流の様子を見ていると、平和があってこその人と人との交流だ。出会う人たちは皆、それぞれの人生があって興味をそそる話が満載、誰もがどこかに人を惹きつける何かを持っ...人は戦いの場を探している?

  • 神社の石段は上るためのもの

    東大阪市、生駒山の中腹に由緒ある枚岡神社(河内國一宮)がある。近鉄奈良線の普通電車の停車駅、枚岡駅の改札を抜けるとすぐ目の前に参道への階段がある(一人の若者が座り込んで長時間スマホをいじっていた。尻を冷やすぞ!)。僕の家からは車で7〜8分で行けるので、大晦日や年始のお参りとは言わずいつでも出かけて、古典的に言えば静心(しずこころ)を楽しむことができる。木々に囲まれた境内の静謐(せいひつ)な空気が大好きだ。急に思い立って、そんな神社の雰囲気を写真撮影して楽しむために出かけてみた。先週の土曜日のことだ。ちょうど七五三のお参りにきた若い家族に出会った。男の子の羽織袴姿がなかなかの体(てい)をなしている。僕と弟もこの神社には七五三をはじめ、数えきれないほどのお参りをしてきた。拝殿への石段は歳をとった今は勾配がきつ...神社の石段は上るためのもの

  • 人が月を見上げて語る時

    僕は夜外へ出て月を見上げるのが好きだ。昔、アメリカ留学の最初の年、僕はまだ20歳、カンザス州出身の明るい男の子カールの家に誘われて一晩過ごしたことがある。その時、一緒に空を見上げて月を見たことが影響しているのだろうか。カンザスは「オズの魔法使い」で有名な竜巻発生頻度の多分アメリカ一位のだだっ広い平原の州である。夜中に外に出て星が降って来るような月夜の空を見上げてお互いの夢を語り合ったのがほんの昨日のような気がする。昨夜は満月。何度も見た満月に今までどんなことを願い、お祈りをしてきたのかを考えた。20歳の頃の願い事は、アメリカ留学が実現しますように、日本の両親や姉、弟が幸せでありますように、帰って今の妻(中学校の同級生)との結婚がうまくいきますようになどなどだ。帰国してからの月、特に満月へのお願いは、困った...人が月を見上げて語る時

  • 期待はずれを期待する?

    日曜日、自治会の呼びかけで町内清掃が行われた。各家庭、誰かが道に出て自分の家の周りを中心に掃除して町内をきれいに、という考えである。各家庭はそれぞれ、ほとんど毎日自分の家の前を清掃しているので、わざわざ時間をとって清掃する必要はあるのだろうかと思っていたけれど、この呼びかけの目的は要するに街の住人たちにコミュニケーションの機会を提供しているのだということがわかった。ホウキや塵取り、タバコの吸い殻などを拾う火バサミなどを用意して自然に数人のグループができる。そこでは、家のこと、独立した息子のことや介護している年老いた親の状況などが話題となって、お互いの共感を確かめながら、時には笑いが生まれる。ゴミ袋いっぱいのゴミが収集されることはまずないようだ。おしゃべりは予想通りサッカーW杯での日本とスペインの試合に。予...期待はずれを期待する?

  • 功績ある人の死に考える

    どんなに優しい人にも、素晴らしいと言われる人にも、偉い人にも、功績を残した人にも、死はやって来る。松下電器産業(現パナソニック)の元社長、経済連副会長など経済面で大きな功績を残した中村邦夫氏(83歳)と、中国で現在の強国、強軍路線の道筋をつけた江沢民元国家元首(96歳)が11月末に亡くなった。功罪を云々される両氏の死が昨日の読売新聞一面に出た。日本のパナソニックの中村さんは大胆な改革で事業の業績を回復させる工夫と努力の人ではあったけれど、人員削減や「破壊と創造」を旗印に突き進む中で敵も多かったのではと想像するに難くない。江沢民氏は中国の経済成長の礎を作り強国路線への道筋をつけた人である。一方では歴史問題を持ち出して日本と中国の対立のきっかけを作った人でもある。BSで見る「イタリアの小さな村」、いつの放映だ...功績ある人の死に考える

  • 「負け」は君のせいではない

    テレビ、新聞はサッカーの話で大騒ぎ。ドイツに勝ったあの日から日曜日のコスタリカ戦とその盛り上がりは本当に尋常ではない。サッカーというスポーツはそういうものなのだろう。以前のラグビーのW杯でもそうだったが今回のサッカーの盛り上がりなどを見ていると商業主義におかされたオリンピックより、各スポーツのW杯の方が応援の盛り上がりがあるように思える。どういう訳か自分が甲子園に行くと阪神タイガースは負けるというファンがいる。なぜか勝ち負けを自分の責任かのように塞ぎ込んでしまうファンがいる。今回のサッカーW杯、コスタリカ戦で“日本が黒星”と新聞が伝える。あまりサッカーというスポーツをTV観戦しない僕が初めから終わりまで見た試合は日曜日の中継が2度目。結果は両試合とも負け(負けを自分のせいにしてしまう人からすれば、きっと僕...「負け」は君のせいではない

  • 「錦秋(きんしゅう)の候は詩的に

    わざわざ電車に乗って出かける公園がある。家を出てから大阪メトロ中央線で大体30分程度の距離になる大阪城公園である。大阪城を左に見て林の中を歩くのが好きである。「ベーカリー」と英語で書かれた看板のパン屋さんの野外のカウンターで、公園を行く人々を観察しながらビールを片手に太短いウインナーの乗ったモチモチのパンを食べるのが至福の時だ。同じパンとビールを持った外国人の老夫婦と一緒になった。仲の良さそうな二人の特別な時間を壊したくないと思いながら、帰り支度の二人にちょっと遠慮がちに話しかけてみた。イギリスからの観光客だという。僕がかつて数回訪れたことのあるリーズ大学で日本の歴史を学んだというご主人は「日本人は親切でいろいろ気遣ってくれるのが嬉しい」といった。隣で奥さんが嬉しそうにうなづいている。心地よい陽光の中での...「錦秋(きんしゅう)の候は詩的に

  • 「行動人間」は否定語を否定する

    その日の新聞は切り抜かないで、一日遅れで切り抜きをするのが習慣だ。切り抜いてその日の新聞をグチャグチャにしたくないからである。切り抜きは全くしない週は切り抜きたい記事がないからである。先週分の切り抜きで思い出した。「大阪ひと語り」と題された記事である。東京から移住してきたフリーライター、スズキ・ナオさんの記事「観察、よそ者視点で」は僕が大切だと思っている精神が的確に表現されていた。「東京出身の自分はうまく大阪に溶け込めるだろうか」と不安を打かえながら大阪の取材を始めたけれど、徐々に新しい環境に馴染み始め、大阪を語る路上観察を記録し続けている。(著書:「『それから』の大阪」集英社新書、など)挑戦する精神、何でもやってみようの精神で行動に移すことが大切だ。行動を起こさない人の特徴は、面倒臭さがりで、なぜか失敗...「行動人間」は否定語を否定する

  • 「立ち話」は時間の無駄使い?

    立ち話に適した場所と言うのがあるように思う。そんな場所を実際に調査研究したことはないが、体力が維持できれば一度は挑戦してみたい気はある。さて、我が家の家の向かいは処方箋薬局だ。前に止めた自転車を挟んで繰り広げられる立ち話を何度も目撃してきた。ママ友らしき同じ二人の立ち話の光景は何度か目にしてきたけれど、今朝は別の高齢女性のお二人だ。一般に立ち話というのは長いもの、15分、30分、今日のお二人はなんと1時間たってもまだ話は続いている。そんなに長く時間を費やせる話が何なのか知りたくなる。立ち話は女性の傾向のように言われるけれど、男性はどうだろうかと考えると、結局は同じ、立っていないだけでお酒を酌み交わしながら長々と話は続くのである。「そうだ、そうそう」と最終的にはお互い同意して終わるのだが、おしゃべりは同意だ...「立ち話」は時間の無駄使い?

  • 雨の中を歩く

    日曜日、小学校では日曜参観が行われると言うことで、子供たちはいつも通り、黄色い帽子にランドセル姿で三々五々ひと塊になって登校していく。朝は話す気がしないのか黙々と学校への道を行進していく。時々日がさす曇りの空は午後には全国的に雨の予報である。案の定、12時を過ぎたころから大阪では雨が降り出した。子供たちの学校帰りはジトジトと降る梅雨のような雨、傘をさす子とささない子がいつも通りふざけ合いながら帰り道を急ぐ風景が見られた。だがその一方で傘もささず、ポケットに手を突っ込んで黙って歩く一人の男子が目に止まった。何か学校で失敗したのだろうか、親がこなかったのだろうか、などと勝手な想像をしながら見送った。アメリカのオレゴン州、ポートランドにいた頃、オレゴン人(oregonian)は傘をささないと町の人が言うのを聞い...雨の中を歩く

  • 「皆既月食」に人生や未来を考える

    パチンコは数字が並ぶと大当たりだ。昔は時々パチンコを楽しんだ時があったけれど、もう何十年もパチンコ屋さんには足を踏み入れたことがない。同じ数字が並ぶとラッキーな雰囲気があるのはこの大人の遊具のせいだろうか。今日は11月11日、1が4個並んだ幸運の日(?)だ。幸運の日と言えば日曜日の夜空の天体ショー、「皆既月食」だ。満月が徐々に地球の影に隠れていく様を秋の冷気を感じながら目撃した。テレビのニュースで大騒ぎをしているので、この現象は凄いことなのだと思っていたら、単にすごいだけではないことがわかった。月が天王星を隠す「天王食」も同時に起こって、日本では過去5,000年で一度もない現象だという。皆既月食と「惑星食」が重なったのが442年前の「土星食」、次に起こるのは322年後などと新聞は伝えていた。何百年単位の現...「皆既月食」に人生や未来を考える

  • 期待値は少し低い目に

    僕の家から歩いて5分、花園ラグビー場を中心に広がる東大阪市の花園中央公園で11月5、6日の2日にわたって「花園エキスポ」開かれた。キッチンカーや最新技術をリードする様々な企業が参加してなかなかの賑わいであった。僕はといえば、ラグビー場の観客席の下、入り口を入ったところに展示されていた「空飛ぶ車」がお目当てである。“くるま”と名付けられているからタクシーのようなもので、車体に何か空を飛べるような翼か、車付きのヘリコプターのようなものを想像していたのだが、それはドローンのでかい番。車体の下から突き出た7〜8本の太い棒に小さな回転体が取り付けられて、これはどう見てもドローン以外の何者でもない。それはそれでいいとして、僕らの世代は未来の話になるとどこか他人事のような距離感を感じることが多い。20年後、30年後、と...期待値は少し低い目に

  • 何でも「端折る(はしょる)」傾向

    秋と言えば、食欲の秋、読書の秋、そして紅葉。読書の秋を選ぶ人は少なくなっているのが今日この頃の傾向だ。なので、と続けようとして気がついた。何かを話題に話していて、「その結果」、「そういうことで」、「そういう理由で」、などを表現する場合に「なので」という表現を使う人がとても多い傾向がある。テレビを見ていてもコメンテーターと言われる人たちが何かにつけて「なので」を頻発する。意図はわかるが、何となく異物を飲み込んだような気分になる。まぁ感覚重視のこの頃の風潮を考えれば目くじらを立てることはない。言葉の変化と言うのは面白いと思いながらも、どこか釈然としない言葉がまかり通っているように思う。そういえば少し気になるもう一つの言葉に、「半端ない」という表現がある。“中途半端ではない”という意味だというが、これも何となく...何でも「端折る(はしょる)」傾向

  • 今日を良い日にする方法

    日曜日、久しぶりに家から歩いて6分の東大阪市の花園ラグビー場公園に足を向けた。暖かい太陽と透き通るような青空が、僕を外に駆り出した。何かのイベントが行われていて、僕たちにとっては騒々しい音楽が響き渡る一方で、日陰のここかしこに年寄りの男女がベンチに座ってそれぞれひとり時間を楽しんでいるように見える。歩き疲れてちょっと一服とベンチに腰をかけた時、横の男性が話しかけてきた。「誰も遊んでくれまへんねん…」とポツッと呟いた。僕に同意を求めているのは明らかである。「仕方がないですね。今日は特にお若い皆さんのイベントですものね」と何となくバラバラの会話。お互い顔を見合わせてニコッ笑って別れた。多分長年の会社勤めを終えた人だろう、またお会いする日はあるかもしれないけれど、この人との接点はこの一瞬だけ。退屈している年寄り...今日を良い日にする方法

  • 「亀」は最高の教師

    近所で家の解体が始まった。家というものはなんとたくさんの埃(?)を溜め込んでいるのか、と考えさせらた。解体業者はちゃんと水を撒きながら家を破壊していくのだが、それでも埃を抑えることはできない。どうしても風に乗って埃が霧散、僕の車も含めて近くの家の車のフロントガラスにうっすらと埃の層ができている。これは仕方がない。「お互い様。また自分も将来的に同じ迷惑をかけるかもしれない」共同体というのはそういうものだ。解体作業を見ていて感じたことがある。最近よく話題にのぼる断捨離のことや、結局自分が死んでしまうと、家も含めて後生大事に残していたものは、自分以外の人にとっては文字通りお荷物となるということだ。昔、プラス思考の英語を勉強していた頃に学んだ「亀」の話を思い出した。亀は余計な荷物を抱えない。スローと言われようが、...「亀」は最高の教師

  • 夕焼けにススキを見ながら考えた

    朝夕には冬の足音が聞こえるような肌寒さと透き通るような空、秋は感傷の季節、思い出の季節と言われる。僕は秋といえば柿やススキや栗が頭に浮かぶ。感傷といえば、その象徴、ススキをそこかしこで見かけるようになってきた。夕焼けとススキ、早朝にはススキが露に光るなどの光景はその典型である。なぜか写真に撮りたい風景だ。『後撰集』の“白露に/風の吹きしく/秋の野は/つらぬき留めぬ/玉ぞ散りける”が身近になる今日この頃である。止めが外れた真珠の玉が飛び散っているようだ…などと表現する百人一首の世界は今日の世界では難しくなった。と思いきや。ススキ野で有名なのは曽爾(ソニ)高原、黄金の大海原と言われる広大な高原の風景が関西ではよく知られているではないか。一度行ってみたいと秋が来れば思い出すのだが、なんとなく遠いという感覚がある...夕焼けにススキを見ながら考えた

  • 肌色マスクは要注意

    久しぶりに外出、帰路に夕方6時半ごろ、本町駅で生駒方面行きの中央線に乗った。仕事帰りの若い人達で混み合っている。久しぶりに混んだ電車で、優先座席は若い人が座っていて空席が無い。仕事帰りでみんな疲れているのだ、僕はあえて優先座席を外した。一般席で僕に気づいた青年が有難いことに席をあけてくれた。おかげて僕の人間観察がゆっくりとできた。最初の気づきは履き物だ。特に女性に目立つスニーカー姿は通勤には疲れを軽減する上で適していると思う。目が届く範囲では、踵の低いパンプスを履いている女性は二人、あとは全員スニーカーなのだ。通勤スタイルが変わったことを思い知らされた。近頃の若者は実用的なのだ。次いで気がついたのは、やはり乗客の全員がマスクをしていることだ。コロナで騒ぎ始めた初期の頃と違い、色とりどりのマスクはファッショ...肌色マスクは要注意

  • 「自然の女神」が支配する

    東大阪の僕の住む地域で秋祭りが昨夜、本祭りを終えた。秋祭りといえば収穫を感謝して祝うお祭りだ。日本の祭りは、春夏秋冬、季節と天候を意識しながら行われてきたことは各地方の祭りを調べてみればよくわかる。春には種まきや花を楽しみ、夏には植えた種の成長を願って日本国中でいろんな祭りが催される。そして秋はもちろん収穫の時だ。豊穣を喜ぶ祭りが地車(だんじり)、神輿(みこし)などを使いながら神社と結びつき神事が行われる。冬には田畑を休ませて、新年への期待を膨らませる。大きく捉えると”自然”と密接な関係があるということがわかる。まさに「自然の女神」が人の世を支配している(MotherNaturerules.)のだ。自然との関わりが深い祭りは人の出だって天候に左右される。雨や寒い日は人出がなく、地車だけが掛け声賑やかに通り...「自然の女神」が支配する

  • 明日という日はずっと続く

    昨日のことだ。いつものように6時に起きて庭にでて朝の新鮮な空気を独り占め。ふと空を見上げたら、なんと「有明の月」が西の空に浮かんでいる。角がやや薄れているがほぼ満月に近い形で浮かんでいるのだ。満月の月齢14歳というから、この日の月は月齢が16、7歳ということになる。夜の月の出が遅くなると、朝まで月が空に残る。これが百人一首に有名な有明の月である。“いま来むと言ひしばかりに長月(ながつき=9月の古典読み)の有明の月を待ち出でつるかな”…昔覚えた懐かしい歌だが、僕は百人一首のこの歌のように恋人を待っているわけではない。朝方になんとなくな寝つき悪くなって早く時間が経過して、人に迷惑をかけない程度の早起きのタイミングを待っているという情けない時間だ。早く経過して、今日という新しい日に起きるかもしれない楽しみを探し...明日という日はずっと続く

  • 「自由の刑」とは?

    孫がどんどん大きくなって、上の子がとうとう高校生になった。僕が楽しんだように、高校生活は勉強と両立させながら楽しんで欲しいといつも願っている。ところで、文部科学省が生徒指導の手引き書なるものを作成したという。校則を見直し本当に必要な規則なのかを見直すように促すものだという。そう言えば半世紀以上も前の僕たちの世代にも校則の問題はあったと思うがそれほど深刻な問題とは捉えず、生徒たちは適当に破りながら学校生活を楽しんでいたように思う。生活指導の先生が懸命にスカートの丈や男子の制服のボタン、髪の毛の色をチェックしていたのを思い出す。考えや行動を制約しているものからの最初の解放は高校を卒業した時である。大学生活を始めて下宿生活で一人暮らしで始めて親から解放された時にひときわ自由を感じた人も多いだろう。ただ思い出すに...「自由の刑」とは?

  • 赤ちゃん見てたら「性善説」

    毎日、早朝に新聞を郵便受けから取り出してじっくり読むのが日課である。楽しみにしていた日課の一つだったが、最近は何か疲れるような暗いというか気持ちを萎えさせるような記事が目立つようになってきて、新聞を開くワクワク感がなくなってきたように思う。ロシア、ウクライナの問題をはじめ、騙したの騙されたの、他にも殺人事件、などなど。もう一度、考えたくなる「性善説」と「性悪説」。人間の本性はどこにあるんだろう、などとふと考えてしまう。頭に浮かぶのはもちろん孟子の性善説。人間はうまれながら善の心を持っていて、最初から悪人などいるはずがない、というのが教えだ。孟子の言葉で最も大切なのは「人に忍びざる心」、つまり“人が不幸でいるのを見過ごしにはできない心”、という意味だ。では荀子(じゅんし)の性悪説はといえば、人間の本来の性質...赤ちゃん見てたら「性善説」

  • カメラ片手に奈良•西ノ京を行く

    久しぶりに土塀が魅力の奈良の西ノ京に足を向けた。秋の気配が身近に感じられて、最も奈良らしい雰囲気を味わえるのがこの近辺である。薬師寺と唐招提寺が徒歩10分の距離で隣接していて余計に落ち着いた雰囲気になれるのがこの辺りだ。先週の土曜日のことである。初秋の天候らしく朝夕の気温とは裏腹に日中は30度近くになる厳しい暑さが残っていた。秋になると寺院に足を向ける人が多いと聞く。もちろん参拝の目的だとは思うが、単に落ち着いた境内を散策しながら日頃の都会や町の喧騒から逃れて静謐(せいひつ)な雰囲気に浸りたいという人も多いのではと思う。ほんの数分の静けさの中での心を解放、例えば玉砂利を踏みながら歩き、目にする唐招提寺の金堂や講堂の荘厳さに感じ入っているだけで、自分の中に変化を感じる時がある。人間関係などで行き詰まった時は...カメラ片手に奈良•西ノ京を行く

  • いつか行く道、通る道

    「無聊(ぶりょう)を慰める」、という表現があるらしい。僕は一度も使ったことがないが、何もすることがなくて退屈な“無聊”を紛らしている、というような意味だ。特にすることがなくて暇な時は、徒然(つれづれ)という言葉は頭に浮かぶことはある。高校時代に覚えた吉田兼好『徒然草』の冒頭の文だ。“つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなごとを…”と展開していくのだが、要するに、何もすることがなくて暇なので、1日中、すずりに向かって頭に浮かんでくるあれやこれやを書つけていると…というような意味合いだ。僕はこれがいつも頭に残っていて、何かをしていないと理由のない罪悪感に苛まれる。いわゆる世間で言う貧乏性ということだ。そこで、最近は暇さえあれば「足踏み体操」なるもので足の筋肉を鍛えて悦にいっている。先...いつか行く道、通る道

  • 年寄りの昔の経験談は役立つの?

    年寄りが夜に眠りが浅くて何度も起きるという話をよく耳にする。僕の場合もトイレが近くなったのか目が覚めるのが先なのか、とにかく頭が冴えてやたらと早朝にベッドを抜け出すことになる。ただ早朝起きの利点があって、それは新鮮な空気と爽やかな空、辺り一面が自分の一人占めであることだ。今日は曇り空、午後には雨の予報が出ている。朝焼けの雲が東の生駒山の上で秋を感じさせる雰囲気をかもし出していた。今日の予定は、全国の高校生が写した写真展に出かけることで、カメラの魅力や撮影者の感性といったものを肌で感じることである。楽しみにして出かけたものの会場の「ニコンプラザ大阪」にたどり着けないのだ。理由は簡単なことでスマホのナビが使いこなせないのだ。大体の場所がわかっている程度で正確な位置を知らなかったことから今日の混乱が生じた。新聞...年寄りの昔の経験談は役立つの?

  • 目を白黒にさせる時

    差別だなどと大袈裟に捉えずに、単に“年寄りの驚き”として今日のブログは読んでほしい。世の中が変わったなー、時代が変わったなー、僕らの世代はいよいよお呼びではないなー、などという思いが頻繁に頭をよぎるようになってきた。夏に一番身近にそれを感じたのは若者の通勤の姿である。黒いズボンに白いシャツ、そして背中には僕らから言わせれば黒いリュックサック。女性の場合はスニーカーで会社まで、会社に到着してオフィスでパンプス(たぶん中ヒールのようなもの)に履き替えるなどという日常の話を耳にするときだ。そうそうもっとショックを受けるのは男性が化粧をすることだ。ジェンダー・フリーが叫ばれる今日この頃、自分の意識の遅れを否が応にも感じる瞬間だ。僕らの世代の人間にとっては化粧などは時間を取る面倒くさい作業以外の何者でもない。しかし...目を白黒にさせる時

  • 「類を見ない巨大台風」報道

    昨日は近畿地方への台風の影響を考慮して、大阪では夕方から環状線はじめ在来線が運転を取りやめた。高齢者の避難を喚起する報道、風雨が強まる予想の注意の勧告、山手にある住宅への土砂災害への注意など、何か恐ろしい事が起こるという不安が常に頭を支配する。しかし僕が住む近畿中部では、雨は降っていないし風も微風程度で時々やや強めの風が吹く、そんな状況だった。夜中の雨も注意勧告とは裏腹にいつもの雨と変わりがなかった。「今度の台風もまた全然影響なかったな。ありがたいな」と今朝の隣人の挨拶。時々耳にする“オオカミ少年効果”が頭をよぎる。気象庁のいろんな勧告がいわゆる空振りになることだ。イソップの寓話の一つで、「オオカミが来た!」と村人を何度も混乱させる羊飼いの少年のせいで、本当にオオカミが来た時に羊が全滅してしまったというお...「類を見ない巨大台風」報道

  • 年寄りのためのGPSは?

    我が家からの最寄りの駅前に大きな遊技場がある。人は主にパチンコを目的にこの建物に集まっているらしい。二階から上は広い駐車場を持つこの建物のパチンコ屋さんの入口には平日であろうと休日であろうと、朝の10時には長蛇の列がある。僕が楽しむ人間観察(PeopleWatching)には格好の場所で、それは偶然はじまることが常である。先日はたまたま出くわしたおばあさん、僕の前を歩いていたのだが、このパチンコ屋さんの前でもう一人の老婦人と待ち合わせをしていた様子だ。10分ほど歩いた後の駅への階段の横で僕はちょっと一休み、この二人を偶然ウオッチングする機会を与えられた。僕の前を歩いていた老婦人は髪の毛は真っ白、チョコレート色のワンピースにスニーカという出立である。待ち合わせの相手のご婦人はモンペ風のズボンにチェック柄のブ...年寄りのためのGPSは?

  • 残暑とセンチメンタル・ジャーニー

    「えらい暑いな〜」「ホンマにな〜」…家のまえで2台の自転車のオッチャンが大声ですれ違った。大阪式というか河内式の挨拶だ。そこから会話が発展するわけでもなく、単にすれ違いの声かけだ。知っている者同士はお互いに無視できない、それが河内式の挨拶だ。それにしてもここ数日の厳しい暑さは35℃に届く夏の盛りに逆戻りの感がする。台風とともに日本の気候は一気に変化して、秋がやってくる例年のパターンが完全に崩れている。ラニャーナ現象(南米ペルー沖の低い海温とフィリピン付近の高い水温)が影響しているという。厳しい残暑…えらい暑いな〜夏休みが終わりに近づく頃までに送るのがマナーと言われる残暑お見舞いのハガキがほとんど届かなくなった。もちろん退職していることが影響していることはわかっているが、ひょっとすると先頃の風潮なのかも知れ...残暑とセンチメンタル・ジャーニー

  • 旧暦9月(長月)は「寝覚め月」

    「もう9月、1年って嘘みたいに早いな」というのはいろんな場所で聞く挨拶だ。驚くことに今月に入って、お正月のおせちの早い目の申し込みを促すチラシを見るようになったことだ。僕にはいくらなんでもちょっと早すぎる感が拭えない。そんなことを考えながら9月に思いを寄せながらアメリカの月に関する名言などを調べていた。暑かった夏の終わりを告げる月だからか、9月という月はなんとなく夏の思い出がふと蘇る時でもある。“「9月」は「思い出す」という言葉と韻を踏む(Summer,itrhymeswithremember.”という文が見つかった。甘い思い出かも、酸っぱい思い出かも、それは知れないけれど若者にとってはいろんな後味を残す夏だったろう。僕の夏はといえば、暑さにぐったり、活動を完全に停止して、外に出かけるといえば女房と一緒に...旧暦9月(長月)は「寝覚め月」

  • 人生のひとコマを「カシャ!」

    最近は朝方に眠れなくなることがなぜか頻繁になってきた。5時や5時半に起き出して庭に出て秋を感じるようになってきた空を見上げるのが楽しみ、などという具合だ。我が家の庭の木犀の木の下にバランがひと塊になって生えている。子供の頃から慣れ親しんだ植物で、昔はお寿司屋さんが束にしてもって帰るのをよく目にした。最近はお弁当のおかずの仕切りに使われているシリコンか何かで作った緑色の模造品しか見ないようになった。そんな話はさておいて…一枚づつ単独で生えてくる広葉のバランの葉っぱの裏、まったく目立たない場所に蝉の殻をふたつ見つけた。カラカラに乾いていてしっかりと足先が葉に食い込んで離れない。脱皮の時の様子が伝わってくる。最近はスマホのせいで使わなくなった一眼レフカメラを持ち出しでマクロ写真に収めた。僕はカメラが大好きなのだ...人生のひとコマを「カシャ!」

  • 昔の人にとって天災とは

    “立春から数えて210日目の9月1日の前後数日は台風や暴風雨に注意”と言うのは昔から農家に伝えられる教訓だという。確かに今年も台風11号が沖縄付近で迷走、二〜三日は暴風雨が吹き荒れるという情報がテレビや新聞で伝えられている。台風が来るといつも思い出すことがある。これが恐怖の幼児体験というものだろうか。(やっぱり昔のことはよう覚えている。歳や!)僕が小学二年生の昭和25年9月3日、「ジェーン台風」と名付けられた強烈な台風が四国から大阪にかけて吹き荒れた。河内平野が広々と見渡せて、日本がまだアメリカの占領の影響で台風に名前がつけられていた時代。ある意味で覚えやすかったのか、台風といえばこのジェーン台風が思い出される。台風一過の翌日、小学校は休校だ。学校のすぐ横を通る東大阪の大動脈、産業道路(702号線)沿いの...昔の人にとって天災とは

  • 夏休みの終わりを告げる雑草

    加藤俊徳(としのり)さんは腦内科医という肩書きだ。8月号のPHP誌に“「楽しくなる脳」を育てよう”という話を寄稿されている。”生活の中に自分なりの発見があれば、人は幾つになっても毎日を楽しく過ごせる(P37)”というお話だ。朝のウオーキングを利用して道端の花壇の定点観測の写真を撮って花の成長を楽しむというのが彼の一つのやり方だ。これだ!と僕は飛びついた。早速、野草のエノコログサを観察することに決めた。エノコログサは子供の頃によく遊んだ“ネゴジャラシ”のことだ。麦のような穂先がついているあの草は放っておくとアッという間に庭の片隅に繁茂する厄介な草だ。でも子供の頃は、本当に猫じゃらしを使ってよく楽しんだ。手のひらに穂の部分を入れて“むすんでひらいて”をするとブラシのような毛の部分の向きによって、握った手から顔...夏休みの終わりを告げる雑草

  • 価値観という化け物

    東京・渋谷の路上殺人未遂事件の容疑者はなんと15歳の少女だった。事件に巻き込まれた被害者の母子の二人の無念さは察してあまりある。そして事件を起こした少女のことも同じように僕の心を塞ぎ込ませる。夏休みが終わる頃にはこの種の事件が発生することが多いことも知った。人は皆、自分が属する文化の価値観によって行動しながら日常生活を送っている。家庭における親と子、学校における教師と学生、生徒、児童、職場での人間関係、社会が変化してきているということは、我々日本人の価値観が変化してきているということだ。そんな社会の変化の中で、苦しむ子どもたちが増えてきた。子供は学校へ行かなねばならない、男らしく、女らしく、などなど、価値観に基づく文化的な圧力が特に小中学生の子供に及ぼす影響は深刻だ。先日から読売新聞では「しんどい君へ」と...価値観という化け物

  • 夕立ちとゲリラ豪雨

    あーそろそろ、そんな時期か。クラブ帰りの二人の中学生の夏休みの課題についての話を聞いてしまった。昔から、夏休みの課題を早い目に済ませて8月の後半は気楽に休みを過ごすことが夢だった。というのも、特に小学生の頃は8月の最終週はいつも半泣きで課題と取り組んでいたからだ。先延ばしの癖を身につけてしまうのはこの夏休みの課題との取り組み方である、などということを大人になってから知って、それ以来、「先延ばし」は悪であるという意識が身についてしまった。とにかく早い目に仕事を仕上げることが善であり、後に回すことは悪という習慣が身についてしまった。それでも、先々取り組んでうまくいかなかったことも多々あり、じっくり時間をかけて検討することも大切であることも学んだのも事実である。昨日は、昼の3時に突然の「ゲリラ豪雨」が僕の住む東...夕立ちとゲリラ豪雨

  • 人間は「記憶の器」

    「京都五山送り火」の様子をテレビで見たり、新聞の写真に浮かび上がった三年ぶりの「大」の字に、今年もまたお盆が終わって先祖の霊を無事に送り出せたことへの人々の安心感が伝わるように感じた。一般の焚き火であれ、五山の送り火であれ、火にはなぜか祈りを含めて心に届けられる独特の思いがある。亡くなった近しい人への祈りが届くような気がするのである。そんなことを想いながら昨年はどうだったのだろうかと、僕の出来事記録の日記帳をパラパラ調べてみると、一月先の9月25日の「ラジオ深夜便」の話が数行目に止まった。耳元でつけっぱなしになっていた小さな携帯ラジオの声がかすかに残っていて、ボーとした頭で、手短に記録しておいたものだ。別にお盆だのとの関係はないが、僧侶で歌人の福島泰樹(やすき)氏の出演記録である。“人は記憶の器である”と...人間は「記憶の器」

  • 夏の庭のイソップ物語

    先週末に蝉の声が聞こえなくなったことに気がついて、週が明けるとなぜかますます気になり出した。蝉の一生は短くて、1週間だとか、10日だとか聞くと、彼らのこの世の中での役割とはなんなのだろうと気になってしまう。何かにぶつかって、地上に落下、そのまま命を失って地上で冬の食糧をせっせと集める蟻軍団の餌食になる。今年はそんな蝉の哀れな姿もなぜかあまり目にしない。8月に入って猛暑が続くのと、何かの関係があるのだろうか。蝉の一生を考えると、いつもイソップ物語の「キリギリスとアリ」を思い出す。短い一生のキリギリスは綺麗な音色をできる限り外に知らしめて存在を誇示し、やはり、働き者のありの餌食で一生を終える。イソップの教訓を考えると、将来を見越して働く蟻たちと、短い人生、その日を精一杯生きるセミやキリギリス、どちらの生き様も...夏の庭のイソップ物語

  • 「山の日」に考える

    先月の末からの猛暑が、まだ続いている。とにかく暑い!35度を中心に前後しながらの気温が続く。気が付けば庭の木犀の木に集まっていたクマゼミもすっかりその鳴き声を顰めてどこか生駒の山に移動したのだろうか。夏休み真っ最中で、蝉のようにどこか田舎に帰省したのであろうか、子供の姿も全く目にしない。静かなお盆の週を迎えることになるのだろうと思う一方で、とにかくこの暑さがなんとかならない限り歳をとるとお墓参りもなかなか大変な行事となる。夏になると僕にとっては、「海の日と山の日」はいつもセットで頭に入ってくる。海洋国家日本の繁栄を願って海に感謝し、同じように山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝するというのが日本人の自然に対する素直な気持ちだ。一方で、文化人類学などを勉強していた頃は西洋の人たちの自然に対する姿勢は征服、日...「山の日」に考える

  • 恐ろしい「燃え尽き症候群」

    夏の真っ盛り、高校野球全国大会、ゴルフ、高校総体、ソフトボール女子日米対抗戦、新聞はスポーツ大会報道で賑やかなことだ。華々しい選手たちの活躍を報道する記事の中に僕の目に留まった全く別の次元の記事があった。陸上のスター選手、箱根のエースだった竹沢健介選手(35)の引退後の苦悩の記事は迫力があった。引退をきっかけに自分の存在意義すら失ってしまうという深刻な精神状態に陥ってしまったのだ。早大大学院で学んでいる頃は、もちろん論文も読むし難解な文章も作成して活躍できていた竹沢が、突然簡単な文章すら理解できなくなったという。引退後の新しい社会への適応ができなくなってしまったのだ。僕が大学現役の時代からスポーツ選手はきっちり日課を立てて、練習に取り組んで、自分の身体能力を高める努力を惜しまない。日課を守り、目標に向かっ...恐ろしい「燃え尽き症候群」

  • 「もののあはれ」のプラスとマイナス

    僕の毎日は新聞と共に始まる。しかし、最近は新聞を開いてみても楽しく無いのである。ウクライナでの惨状、大雨や洪水、子供への虐待報道、政治的に自分の立場はどうであれ、安倍元首相の暗殺報道、これらは全て人の死がつきまとって心の中になにかモヤモヤしたものを残して気が重い。人の死は無常観や「もののあはれ」を心の中に呼び起こす。平安王朝の重要文学理念、美的理念のひとつが「もののあはれ」と言われている。源氏物語のテーマとはこの「もののあはれ」であるという。平安時代の貴族社会を描いて光源氏を通した恋愛、栄光と凋落、政治的欲望、権力闘争、を描いた。なぜ不意に紫式部なのか、源氏物語なのか、と言われるだろうが後期高齢者と呼ばれる者にとっては新聞で報道される人々の死以外にも、周りで耳にする知人とも言えないが全く知らない人でもない...「もののあはれ」のプラスとマイナス

  • 「あかん、あかん」のカンカン照り

    イギリスの異常気象の新聞記事を読んでいた。日本の熱中症アラートどころの温度ではない。先月の19日にはリンカンシャー州では国内最高の40.3℃を記録したという。だいたい25度以下の英国の夏、家には冷房が無いなどと書かれていた。冷房なしの40℃など日本では考えられない。テレビでは35℃を超えて冷房をうまく使えと注意を喚起する。ここ3日はカンカン照りの天気が続く。日向(ひなた)に立つと、まず首から肩にかけて刺すような熱を感じる。「カンカン照り」という言葉を我々は特別な注意を払わずに使っているが、先ずは、“カンカン”とは何なのか、調べてみると、要するに炭火が真っ赤に燃えて最高潮の時にはカンカンと音を立てるさま、というような説明しかできない。子供の頃、七輪で火鉢に入れる炭を燃やして火を起こしていたのを思い出す。日本...「あかん、あかん」のカンカン照り

  • ブックマッチの火が消える

    兵庫県の姫路のブックマッチの老舗生産会社が製造を終えるという。現在ではブックマッチなど知らないという若者も多いと思う。アメリカ発祥のブックマッチ(abookofmatches)、大きさは3〜4センチほどで平均的には正方形に近い大きさのやや硬めの台紙の二つ折れ。紙のマッチ棒の先に頭薬と言われる酸化剤とヤスリ面が台紙についていて、擦ることで摩擦で発火するという代物だ。僕の若かりし時代は、喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら、このマッチブック(喫茶店名やホテル、レストランの広告が印刷されている)で火をつけてタバコの煙を燻らせながら雑談ということが時代の先端であった。“パシッ”と音をたててブックマッチで火をつけるのが“かっこ”よかったのだ。喫茶店やホテルのバーなどでは、各テーブルの灰皿の中にブックマッチをひとつ必ず...ブックマッチの火が消える

  • 地球は生きているー熱情は内にあり

    鹿児島県で桜島がまた噴火した。大きな噴石の落下や火山灰、警戒が必要と伝えられている。山体の膨張が続いているとの報告もあり、地元の人々にとっては悩ましいことだろう。お見舞い申し上げます。人間にとっていろんな自然災害の一つ、火山の爆発もまた人間の人智を超えたもので人力でこれを止めることはできない。甚大な被害を及ぼさないように祈るばかりだ。僕が火山活動に興味を覚えたのは、アメリカ留学中に履修した科目、地質学(geology)、地震学(seismology)がきっかけである。ジャンセンという先生の講義が、火山活動を若者のエネルギーに喩(たとえ)られて面白かった。人間が手出しできない力が地下奥深く、プレートやマグマを動かし、それらの動きとともに噴出する地球エネルギーの爆発だという説明が僕の心をとらえた。(この先生の...地球は生きているー熱情は内にあり

  • もしも摩擦がなかったら

    新聞を広げてみると、国際面をはじめ、なんと世界は摩擦で溢れかえっていることだろうか。ロシアのウクライナ侵攻、独裁大統領に反対してスリランカの人民蜂起、アメリカの民主党と共和党の軋轢、まだまだある。おっと、忘れてはいけないのが夫婦間の摩擦、”夫婦愛、摩擦があるから今日がある”な〜んてことを言いながら日々を暮らす人も多い。”摩擦”を国語辞典で調べてみると、次のような定義がある。①物と物が触れ合うこと、②物体が動く時、その動きを妨げようとする力が働くこと、③意見、感情、立場の違いによって生ずる軋轢、などと記されている。我々が一般に理解している摩擦は③の意だ。されば物理の摩擦の①と②を考えてみると面白いことがわかってくる。もしも摩擦がなくなったら物が全て遠心力で宇宙のどこかにバラバラに飛び散ってしまう。英語では“...もしも摩擦がなかったら

  • どんなモノにも「締め」が要る

    コロナの感染者がまた増加し始めた。やっと以前の日常の落ち着きを取り戻せるかもしれないという淡い期待を抱いていたのにやはり第7波はやっってきた。折りしも大相撲の名古屋場所が始まり、プロ野球もいよいよ佳境に入ってきた。(コロナは大丈夫かな…)大相撲の体育館も阪神タイガースの甲子園も満員御礼の状態で観客席は“リッスイ”の余地がない程の混み具合だ。あれツ、「リッスイの漢字はどうだっけ。手元のスマホを調べてみれば瞬時に答えは出てくる。メモをとって家に帰って字を調べるなどはもう全く必要がなくなった。(…立錐の余地がない…)僕がメモを取らないという悪い習慣を覚えたのは、数年前、若い女性がバス停の時刻表をスマホで写真を撮っている姿を目撃して以来である。「そうか、これは便利、いちいち書き写すことはないのだ」と気がついた。こ...どんなモノにも「締め」が要る

  • 鏡が映す真実とは

    歳をとって髪の毛が白くなったり、薄くなったり、皺が増えたりに気づくようになると、鏡を見るのが億劫になる。僕も例に漏れず、鏡に映った自分に対して「あんた誰?」などと呟いたりすることが増える。「鏡はその人が見るものを写す」という言葉があって心を清潔に保ち周りの物を見ることで鏡に写る自分もまた爽やかな気持ちで相対することができるという教訓だろう。(姿勢を正して鏡に写ろうなどと自分に言い聞かせる…)昔、イギリスにルイス・キャロルという作家がいて『鏡の国のアリス(1867年)』という童話を書いた。どこかで聞いたような本のタイトルだ。そう、『不思議の国のアリス(1870年)』の作者である。この人は女性を匂わすルイスという名を語るけれど、本名はチャールズ・L.・ドジソンという名の男性だ。児童文学の話が出ると必ず彼の名が...鏡が映す真実とは

  • 「脳」、君は賢いのかバカなのか?

    惨事などの同じ映像を何度も繰り返し見ることは心の健康に影響を及ぼすと新聞に載っていた。今回の報道は先日の安倍元首相暗殺の瞬間の映像のことである。以前、衝撃的な映像の心理的影響を指摘されたのはアメリカの同時多発テロのWTCビル崩壊シーンのことだったように記憶している。衝撃的な映像は確かに網膜に焼き付けられてあまり良い影響があるとは思えない。この種のことで僕は日頃気にしていること、それはテレビのコマーシャル。映像もさることながら音楽が耳につくのである。夜、ベットに入って寝る体勢に入ってもCMソングに頭を支配されていることに気づくことがある。キャットフードのコマーシャル、猫がぺろぺろフードを舐めている時に流れる曲が耳について離れなくなる。もっと以前には味噌のコマーシャルで出てくる“♬〇〇味噌!”のリズムが頭から...「脳」、君は賢いのかバカなのか?

  • 会話とは「叫び合うこと」ではない

    国内の新型コロナウイルスの感染拡大がまた話題になり始めた。感染拡大の原因は正確には分からないが、レストランなどで大声で話す人達が原因の一部ではないかと自分かってな推量をたてている。つまり、日本人の公衆道徳意識の低下に何らかの関係があるのではと考え始めた。別々の日に、ランチタイムを外して入った3軒のレストランでは3軒とも大声で話す騒々しい数人の人達が周りの会話の妨げになっていることに気がついた。数人の道徳意識のない人達のお陰で店内の会話の音量が高くなってくる。大声で話さないとこちらの会話が続かないのだ。一昔前、”TPO(time-place-occasion)”という言葉をよく耳にしたものだ。“時、場所、場合(ケース)”によって服装や言葉使いなどを使い分けるという周りに気を配る公衆のルールである。最近はこれ...会話とは「叫び合うこと」ではない

  • そんなに急いでどこへ行く

    不要不急の外出を控えましょう、と皆がお互いに注意しあっていたのはいつの頃か。今やそんなことは忘れたように、街は大勢の人で賑わっている。先日は僕が乗る地下鉄電車に発車間際に走り込んできた若者がいた。「発車間際の駆け込み乗車はお控えください」のアナウンスはどこ吹く風、閉まるドアにぶつかりながら駆け込んで、僕の向かいの空いた席にドシンと乱暴に座り込んだ。手にはスマホが握られていて何食わぬ顔で操作を始めた。車内が一瞬嫌な雰囲気になるのを感じた。人はすんでのところで電車を乗り過ごすと、何か大きな損をしたように感じる。逆にうまく乗れた場合は大きな得をしたように。競争社会の生活の中では損得勘定がクローズアップされて何となく慌ただしい日常になってしまう。僕が歳をとって気づいたことは、とにかく約束には余裕を持って家を出るこ...そんなに急いでどこへ行く

  • ここにも必要「熱中症アラート」

    6月の後半から異常な暑さが続く。僕が子供の頃から知っている夏の気温ではない。うだるような暑さ、肌を焼く激しい太陽光線。この関連の新聞記事を拾ってみた。酷暑、電力の逼迫、熱中症アラート、紫外線リスク、などの文字が躍る。偏西風の蛇行が北海道のやや上部まで移動して、下から太平洋高気圧が張り出して日本列島を覆っている。西からはチベット高気圧なるものも張り出してきて太平洋高気圧と重なり、さらに高気圧の威力が増すとの解説もあった。熱中症アラートなるものが発令されるようになって、ふと考えた。昔は日射病という言葉で現在の熱中症を表していたように思う。熱射病や日射病という言葉は今も生きているらしいが熱中症が主流になってほとんど耳にすることがないようにも思う。暑い!とにかく暑い。朝にプランターの花や木に水やりのために数分庭に...ここにも必要「熱中症アラート」

  • ここにも必要「熱中症アラート」

    6月の後半から異常な暑さが続く。僕が子供の頃から知っている夏の気温ではない。うだるような暑さ、肌を焼く激しい太陽光線。この関連の新聞記事を拾ってみた。酷暑、電力の逼迫、熱中症アラート、紫外線リスク、などの文字が躍る。偏西風の蛇行が北海道のやや上部まで移動して、下から太平洋高気圧が張り出して日本列島を覆っている。西からはチベット高気圧なるものも張り出してきて太平洋高気圧と重なり、さらに高気圧の威力が増すとの解説もあった。熱中症アラートなるものが発令されるようになって、ふと考えた。昔は日射病という言葉で現在の熱中症を表していたように思う。熱射病や日射病という言葉は今も生きているらしいが熱中症が主流になってほとんど耳にすることがないようにも思う。暑い!とにかく暑い。朝にプランターの花や木に水やりのために数分庭に...ここにも必要「熱中症アラート」

  • ものごと全て考え方次第

    歳は60代頃か、オバ様二人の会話が耳に入ってきた。場所は自動車販売所、一人は車の所有者、お相手はどこかに送ってもらうらしいお友達だ。僕と同じように車の六ヶ月点検をしてもらう間の暇つぶし会話に夢中である。新聞を読みながら聞くとはなしに耳に入ってくる会話は顔の皺(しわ)が増えて気にしているという話。女性が気にする顔や首の周りにできる皺、確かにお二人が納得しているように加齢が大きな影響を及ぼしているのだろう。でも僕は同じように皺を気にする話がアメリカの女性の間でも交わされているのを聞いた事がある。なぜ頭に残っているのかは理由があって、彼らは皺を“笑い”のせいにしていたことだ。皺は笑った数を指すと彼らは言う。僕は日本では苦労の数だけ皺が増えると聞かされていたような気がするのだ。物事は全て見かたと考え方次第、表面か...ものごと全て考え方次第

  • 梅雨の時期に「水無月」?

    雨でジメジメと不快な湿気に悩まされたかと思えば一転うだるような暑さがやってくる。これが梅雨の季節か、と疑問が湧く極端な天候が繰り返される。今のところは線状降水帯とかの発生が原因の大きな災害が報告されていないのがせめてもの救いである。梅雨の真っ最中のこの6月は旧月名では「水無月」と呼ばれていた。梅雨の月に水が無い月?これって何かの冗談?。どうしてこんなことになるのだろうかと考えてみた。自分の持論があっても悪いことでは無いという事がわかった。なぜなら、その説明を色々調べてみても全てが学者というか、研究者というかの人たちの考えに過ぎないからだ。そこで僕ならどのように考えるかを考えてみた。「水無月」と書くのだから「水が無い」にそれなりの理由があるはずだ。文法的に水無月の「な」が転じて「の」になるから「水の月」など...梅雨の時期に「水無月」?

  • 歩数計の“壁”を破る

    東大の名誉教授、『バカの壁』(東京・新潮社)の著者と言えば養老孟司さん、そんなに人付き合いが得意な人とは思えないが、彼の“壁シリーズ”の本を読んでいると、どことなく人柄に興味が湧いてくる。“養老先生”で知られるこの先生は病院に行くのを嫌がるお医者さんだ。体調の変化を数値だけを頼りに診断する傾向のある最近の医療には厳しい考えのある養老先生、最近の新聞に歩いて自分の血糖値を下げたなどと持論を書いていた。それに触発されたのが誰あろうこの僕だ。車社会の典型、アメリカに住んでいたからか、とにかく歩くのが嫌いである。特に急を要するような深刻な疾患があるわけではないが、健康はやはり歩くことから始まると信じ始めた。スマホのアプリにある歩数計を調べてみると、意識して歩かなかった日は1日の歩数が2,000前後という情けない数...歩数計の“壁”を破る

  • クチナシの花の香りが梅雨を呼ぶ

    梅雨入りだとテレビのニュースで知った時、即、頭に浮かんだのは紫陽花(アジサイ)の花。梅雨が反射的に紫陽花と結びつくのはほとんどの日本人の感性だ。しかし、ちょっと待て、紫陽花だけがスターではない、数日前の雨に濡れながら真っ白いクチナシの花が我が家の庭の片隅で開花したのだ。それも三輪がほぼ同時に。植物はどのようにして季節や温度の変化に呼応するのだろうか。クチナシは6月から7月にかけて咲く花だとちゃんとものの本に書いてある。僕が若い頃、クチナシといえば渡哲也の『クチナシの花』という歌謡曲、一時期よく流行って、カラオケで歌われることが多かった。ただこの曲、女性のお前がクチナシの花のようなのか、クチナシの花がお前と呼ばれる女性のようなのか、主体がよくわからない歌詞に、何度か議論されていたのを思い出す。クチナシの花は...クチナシの花の香りが梅雨を呼ぶ

  • バンクシーの猿の絵

    外国でよく見かける光景だが、人が前と後ろに看板をぶら下げて街角に立って、道ゆく人々に読んでもらうという広告の方法がある。先週の金曜日のブログを書いてから、ずっと気になっているバンクシー展の一枚の絵は、寂しげな表情の猿がこの看板を身につけていて、前面には「Keepitreal.キープ・イット・リアル」と書かれている。なんとなく意味はわかるのだが、もう一歩うまく意味が説明できないので辞書を調べてみた。なんとちゃんと成句があって「自分自身に正直であれ/正直な行動をする」という意味があるのだ。正直を表す英語の表現や単語はたくさんあるのでこのkeepitrealを僕は使ったことがない。ところで猿は人真似で有名だ。いろんな状況の中で“猿真似”という言葉は使われていて、気がひけるが、日本の明治時代の文明開花の流れを日本...バンクシーの猿の絵

  • 「祇園精舎の鐘の声」が聞こえてきた

    昨日は大阪のグランフロント北館で開催されているバンクシー展に足を運んだ。1回目の開催がほんの7、8ヶ月前だと思っていたら、なんともう一年と6ヶ月が経過しているのだ。前回は「バンクシーは天才か反逆者か」と言うキャッチコピーで展示を盛り上げ、僕は2020年の12月1日に出かけて、僕のブログも12月4日に一通りの報告や感じたことを記している。日時の変化の速さに僕は追いついていないと気になりだした。時間感覚が歳のせいで変わってきとのかと少しの不安を覚えたのだ。今回の展覧会「バンクシーって誰?展」と銘打った刺激的な宣伝に引き込まれるように、また出かけたのだ。“正体不明のアーティスト”、そして“芸術テロリスト”と言う名前ですら呼ばれるバンクシー、反権力など政治的なメッセージの作品に加えて、世界平和への願いや消費社会へ...「祇園精舎の鐘の声」が聞こえてきた

  • 挑戦心が生み出す好循環

    ヨットでの単独無寄港太平洋横断に挑んでいた堀江謙一さん(83歳)が6月4日、69日間かけて日本に帰ってきた。1962年の彼の初めての太平洋横断の時の“独りぼっち”とは違って今回は衛星通信でいろんな支援者との通信の中で運も味方して達成できたと堀江さん言った。挑戦には細心の注意と準備、そして運も忘れてはならない。挑戦をする人はいろんな名言を残す。「ヨットはやればやるほど健康に良い」という彼の言葉が僕を刺激する。“健康に良い”というのはどういう意味だろうか。物理的な健康もあるだろうし、精神的な充実からくる健康もあるだろう。挑戦するということは身体も心も充実するというバランスの取れた健康を意味しているように感じた。「考えているだけでは見えてこない世界がある。幾つになっても挑戦すれば世界が開け刺激を受けられる」とも...挑戦心が生み出す好循環

  • 早起きの損得

    冬の早起きは空気が冷たく意志が弱ければ難しい。気候が良くなって朝の早起きに苦労をしないで済むようになってきた。朝5時半ごろの空の高さ、空気の新鮮さ、そして人がまだあまり活動をしていないということで空気や時間の“独り占め感”が最高だ。現役の頃、決まって連休あけと6月に入ったちょうど今頃に学生の遅刻やズル休みが増えるということが教師間の話題になったことを思い出す。家の前のゴミ掃除などをしていると、やがて小学生の通学時間だ。子供の声を聞くともなく聞いていると面白い。二人の女子の会話:「お姉ちゃん、今日も怒られてた。起きへんから」と一人の子。「なんでやろ」「知らん、遅うまで起きてるからちゃう」という話題で通り過ぎた。妹のこの子はお姉ちゃんと一緒に登校したいのでは、などと僕は想像していた。今の子供たちの生活習慣は知...早起きの損得

  • 雑学:数字「3」の研究

    先週の金曜日は3割打者にみる人生の捉え方、「人生うまくいくのは3割、だから気楽にいこう」を書いていたが、その過程で気がついたことがあった。25日のセリーグの打撃成績1位は横浜DNAベイスターズの佐野恵太選手、打率は.333。あくる26日は同じDNAの牧秀悟選手で打率はやはり.333、そして27日にはまた牧選手の.333である。打撃10傑の一位が三日連続の3割3分3厘に不思議な数字「3」の雑学を思い出した。もう50年も前の話だが、数字の「3」は不思議な力を持っているということで「3の研究」をしていた人がいた。たとえば三角形はどの頂点から圧力をかけても壊れない強固な形、アメリカの自由の女神の内部構造も鉄骨がいくつもの三角形で強固に全体像を支えているという。日本の諺にも三が特別な意味を持っていることを示するものが多く...雑学:数字「3」の研究

  • 「完璧」は存在しない

    新聞などに人生相談を投稿する人は理想主義者が多いのでは?相談者のみんながそうだと言っているのではないが、相談に僕ならどう答えるかなどと考えているとそんな傾向があるように思うことがある。そもそも理想とは手を伸ばしても届かないものだから理想なのだ。それでも理想や完璧と言われるものに近づこうという努力は評価されるべきである。その過程で注ぎ込まれるエネルギーというようなものには我々を惹きつける何かがある。話は飛んでしまうが、僕がプロ野球をはじめとしてスポーツが好きな理由はまさにそのエネルギーを感じることができるからだ。選手たちが自分の技術を理想に近づけようと努力する姿に惹かれるのである。たとえばプロ野球。打者が目標としている打率に注目すると、大抵の彼らにとっての成功とは3割を超えて打率を残すことである。新聞のスポーツ欄...「完璧」は存在しない

  • 自分だけの持ち物

    天気も良くなってきて、庭に出て新緑を見ながら日々のことを考えていた。「いい経験になった」「いい教訓になった」と思う日は何かの失敗をした日であまり良い日だとは言えないのかもしれない。いい日というのは素直に楽しかったと思える日で、なんらかの思い出に残る日だといえる。自分の1日の行動をプラスに考えるか、マイナスに考えるかは生き方にまで影響してくる。もっと歳をとって「あなたの人生はどうでしたか」などと聞かれた時に、楽しかった、充実していた、などと答えることができるようにプラス思考で生きていければと思う。僕は物の見方や発想の転換を考える時は楽観主義(プラス思考)と悲観主義(マイナス思考)の考え方の違いでそれを学ぶのが一番わかりやすくて面白いと考えて、大学の授業でもよく利用した。当時はこまめにシステム手帳などにメモを書いて...自分だけの持ち物

  • 真の姿は裏面に

    カンカン照りの下での草刈りは耐えられないが、しばらく曇りの日が続いたので裏庭の草刈りが例年になく進んだ。僕を悩ますのは“毒ダミ”という酷い名前をつけられた雑草である。毎年5月のこの時期は多分彼らにとっての最盛期なのだろう。濃い緑のハート型の葉っぱから茎、そして白い愛らしい花まで引き抜いたり踏みつけたり、なんらかの傷を負わせれば独特の悪臭を放つ。厄介なのはあたり一面に張り巡らせた地下茎だ。これを根絶することは不可能で毎年庭の塀などに沿って繁茂するのだ。嫌われ者のこのドクダミを刈る時にはいつも思い出すことがる。子供の頃に祖母に煮たドロドロの葉を軽くすりつぶして傷口に塗りつけられたのを思い出すのだ。軽い腎臓病を患った時には煎じてお茶にしたものを飲んだことも記憶している。つまり昔の人はドクダミを火傷(やけど)や化膿した...真の姿は裏面に

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