毎年、5月3日の小田原城は北條五代祭り。北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直を偲ぶ小田原市最大のイベント。北条早雲公像小田原駅前の北条早雲公像も兜に甲冑姿です。ス…
毎年、5月3日の小田原城は北條五代祭り。北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直を偲ぶ小田原市最大のイベント。北条早雲公像小田原駅前の北条早雲公像も兜に甲冑姿です。ス…
平将門は、自らを新皇と称して反乱を起こし、940年(天慶3年)2月14日、藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧された豪族。将門塚藤原秀郷と平貞盛に討たれた平将門の首級…
ゴールデンウィーク期間中の5月3日から6日まで、建長寺では「金澤翔子展」が開催されます。場所:得月楼時間:10:00~16:00(6日は15:00まで)入場無…
蘆山寺蘆山寺は、紫式部の邸跡にある寺院。拝観入口には金色の紫式部像が置かれている。 紫式部公園紫式部が娘時代を過ごした越前市の紫式部公園には 十二単衣を…
大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ(紫式部)が越前へと下るのもこうすぐかと思いますが・・・その頃、紫式部は姉を亡くしています。幼い頃に母を亡くしていた紫式部にと…
『白氏文集』「新楽府」~源氏物語や枕草子に影響を与えた詩文集~
『白氏文集』(はくしもんじゅう)は、中国唐の文学者・白居易の詩文集。承和年間(834-848)以降に日本に伝来し、平安貴族の間で流行しました。藤原行成はそれを…
奈良の長谷寺も鎌倉の長谷寺も十一面観音が本尊。創建当初の十一面観音は、徳道がクスノキの霊木で造立させたものだったのだと伝えられています。奈良の長谷寺奈良の長谷…
江の島江の島は源頼朝が奥州平泉の王者・藤原秀衡を調伏するために弁財天を勧請した島。小動岬小動岬は、江の島の片瀬東浜の端。その先は七里ヶ浜。頼朝の挙兵で伊豆…
福井県は日本最大の恐竜化石発掘現場があることから恐竜王国と言われています。福井駅西口の恐竜広場には、動く恐竜モニュメントが設置されています。東口にも
京都市平安京創生館に展示されている「源氏物語車争屏風」。京都市歴史博物館蔵の複製。紫式部の『源氏物語』~葵の巻~での車争いの場面が描かれています。賀茂祭が行わ…
京都の祇園祭のハイライトは山鉾巡行。長刀鉾は「前祭巡行」の先頭を行く鉾。三条宗近が祇園社(八坂神社)に奉納した長刀を立てたことから「長刀鉾」と呼ばれます。…
995年(長徳元年)は、藤原道長にとって順風が吹き始めた年。4月10日、関白だった長兄・道隆が薨去。次兄の道兼が関白となるが5月8日に薨去。5月11日、一条天…
995年(正暦6年)正月、関白・藤原道隆は次女の原子を皇太子・居貞親王の妃としますが・・・程なくして病に伏します。そして・・・4月3日、関白を辞し、4月6日に…
鎌倉は、ゴールデンウィーク明け頃からアジサイのシーズン。あじさい鑑賞券七色極楽浄土となる長谷寺の「あじさい散策路」は、見ごろ(五分咲き)になると拝観料とは別に…
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
かつての東大寺には、大仏殿の東西に七重塔(東塔・西塔)が配されていました。2024年(令和6年)、東塔について研究してきた奈良文化財研究所は、その高さは68メ…
紫ゆかりの館パネル996年(長徳2年)、紫式部は父の藤原為時が越前国司に任じられると父とともに越前国府へ赴きました。1996年(平成8年)には、紫式部の越前下…
宇治陵宇治陵は、関白・藤原基経が定めた藤原北家一門の埋骨地。藤原氏塋域の碑塋域碑には、冬嗣・基経・時平・兼家・道隆・道長・頼通・師実の名が刻まれています。その…
995年(長徳元年)、北宋の商人・朱仁聡ら70余名が若狭国に来航。藤原道長は、彼らを越前国へ移します。そして翌年、越前守に任じられたのは紫式部の父・藤原為時。…
四納言は、一条天皇の時代に秀才として知られた四人の公卿。四人とは、藤原道長の政権を支えた源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成。斉信が大納言、俊賢・公任・行成が…
北条早雲像小田原駅西口のロータリーにある北条早雲公像は、北條五代祭りに併せて特製の兜に陣羽織の姿となります。【開催日】4月下旬~5月上旬☆ ☆ ☆ ☆ ☆
清少納言は「藤の花」ついてこう書きました。藤の花は しなひ長く 色濃く咲きたる いとめでたし(藤の花は、花房が長く、色濃く咲くのが、たいそう素晴らしい)色あひ…
『大鏡』によると・・・摂政・関白の賀茂詣の日は、下鴨神社の社前で素焼きの土器に入った酒を三度勧めるが慣わしでしたが・・・藤原道隆が詣でたときは、神社の者も道隆…
円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。源実朝が請来したという仏舎利が祀られています。現在の舎利殿は、鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿が移築さ…
船岡山994年(正暦5年)、都に疫病が流行すると、一条天皇は疫神を神輿に移して船岡山に安置し、悪疫退散を祈る「紫野御霊会」 を営みます。1001年(長保3年)…
悲田院悲田院は、身寄りのない老人や貧しい人、親のない子どもを収容する福祉施設。平安京の東西には2つの悲田院がありました。泉涌寺の悲田院は、平安京の悲田院の後身…
『義経記』によると・・・壇ノ浦の戦い後、源頼朝と不仲となってしまった源義経は、都を逃れ、逢坂の関を越えて大津から琵琶湖を渡って奥州平泉へ向かったのだといいます…
毎年、大船フラワーセンターで開催されている「日本の自生アジサイ展」は・・・5月21日(火)~5月26日(日)の予定。全国に自生するアジサイが展示されます。☆ …
光則寺は、五代執権北条時頼の家臣宿谷光則の自邸跡。宿谷光則の墓1260年(文応元年)、日蓮は、長谷にあった宿谷光則の屋敷を訪れて、政治や宗教のあるべき姿を著し…
越前和紙の里越前市は全国一の和紙の産地。越前和紙は、父の藤原為時とともに越前に下向した紫式部も使用したかもしれないもの。2024年7月には新しい紙幣が発行され…
まんだら堂やぐら群初夏のまんだら堂やぐら群の限定公開は、以下のとおり予定されています。公開期間令和6年4月20日(土) ~6月2日(日)※土・日・月・祝…
「光る君へ 越前 大河ドラマ館」は、武生中央公園にある屋内催事場「しきぶきぶんミュージアム」内に開設されています。まひろが裳着の儀式で着た衣裳為時の居室と書道…
鎌倉ビーチフェスタは、由比ヶ浜海岸で開催される海の楽しさを体験する祭。2024年は5月25日(土)・26日(日)。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「紫ゆかりの館」は、 紫式部が青春時代を過ごした越前武生に2021年オープンした資料館。館内には、紫式部の越前下向行列の模型が置かれています。 模型の人形・…
「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる」越前富士とも呼ばれる日野山は、越前で暮らした紫式部が眺めていたという山。紫式部公園の紫式部像の…
藤原為時と紫式部996年(長徳2年)、越前守として武生の国府に赴任する父藤原為時に同行した紫式部。この情景は武生に向かう国司の一行が木ノ芽峠あたりで休息してい…
岡太神社は、紙祖神の川上御前を祀る神社。川上御前は里人に紙漉きの技術を伝えたという女神。紫式部が下向した越前は和紙の産地。日本初の全国通用紙幣「太政官札」…
源氏の間1004年(寛弘元年)、紫式部は石山寺に参籠。琵琶湖に映る月を眺め『源氏物語』の着想を得たのだといいます。本堂にある源氏の間で書き始めたのは「須磨・明…
仁和寺は、宇多天皇・祖父の敦実親王ゆかりの寺院。敦実親王の三男源雅信、その娘源倫子は仁和寺に葬られました。紫式部の『源氏物語』~若菜上~で光源氏の兄・朱雀院が…
父の伊東祐親が大番役で在京している間に、流人だった源頼朝と恋仲となった八重姫。千鶴丸という男児も授かりますが・・・それを知った父祐親は許さず、千鶴丸を殺害し、…
斎王は、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神社)に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)。嵯峨天皇(桓武天皇の第二皇子)が即位した翌年の810年(弘仁元…
2024年から春の長谷の市は4月に行われることになりました。開催日は4月21日(日)。メイン会場は長谷寺。9:00~16:00朝市は光則寺。8:00~11:0…
賀茂斎院歴代斎王神霊社下鴨神社の賀茂斎院歴代斎王神霊社は、2018年(平成30年)、式年遷宮事業の一環として再興されました。斎王は、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨…
「春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな」越前国へ下向した紫式部に「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」言っていた藤原宣孝(のちの…
平安時代、琵琶湖の西岸・堅田の地は下鴨神社の御厨でした。堅田の人々は、琵琶湖の鮮魚を献上するかわりに雑役の賦課が免除されていたのだといいます。葵祭の前日(5月…
紫式部歌碑(越前市 蔵の辻)「ふるさとに 帰る山路の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし」父・藤原為時とともに越前武生で暮らした紫式部が「早く都へ戻りたい…
紅葉橋遥拝所唐崎社は、賀茂斎王が退下した際、解齋(お祓い)のために参拝していた社。現在は井上社に合祀されています。賀茂斎王は、賀茂神社(上賀茂神社・下鴨神…
紫式部公園歌碑「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる」父・藤原為時に同行して越前武生に下向した紫式部が初めて迎えた冬・・・初雪が降った…
東大寺の大仏743年(天平15年)、聖武天皇は「大仏造顕の詔」を発しますが・・・東大寺の大仏造立にあたっては表面に金を施すため大量の黄金が必要でした。聖武天皇…
996年(長徳2年)正月の除目で淡路守となった藤原為時。しかし、為時は越前守を望んでいたため一条天皇に申文を奏上します。その中にあったのが「苦学寒夜、紅涙霑襟…
紫式部は石山寺で『源氏物語』を書き始めたと伝えられています。「紫式部をめぐる人々」では、『石山寺縁起絵巻』の石山詣や紫式部の肖像画、同時代に活躍した人々の和歌…
静先ず歌を吟じ出して云はく吉野山峯ノ白雪フミ分テ、入ニシ人ノ跡ゾコヒシキ次に別物の曲を歌う之後、又和歌を吟じて云はく、シヅヤシヅ~ノヲダマキクリカヘシ昔ヲ今ニ…
石山寺は、聖武天皇の勅願で良弁によって開かれた観音霊場。平安時代には石山詣が盛んに行われました。紫式部が『源氏物語』を書き始めた寺として知られ、藤原道綱母の『…
気比の松原松原客館は、平安時代前期に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。気比の松原付近にあったといわれています。気比神宮…
1010(寛弘7年)4月の賀茂祭でのこと。一条大路の桟敷で斎王の行列を見物していた藤原道長は・・・桟敷の前を過ぎる選子内親王に二人の孫(のちの後一条天皇と後朱…
紫式部公園996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国へ。紫式部公園は、紫式部の越前下向を記念して整備された公園。紫式部公園のある武…
琵琶湖の西岸に鎮座する唐崎神社は、賀茂祭(葵祭)を主宰した斎王が退下したときに参拝したともいわれている社。古くから祓の霊場として知られ、平安時代には「七瀬…
京都:葵祭~清少納言が紫式部が、大江広元が九条頼経が・・・~
葵祭(あおいまつり)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭礼。清少納言の『枕草子』や紫式部の『源氏物語』にも描かれた王朝行事。古くは賀茂…
996年(長徳2年)、藤原為時とともに越前国への旅に出た紫式部。都から近江国に入り琵琶湖を渡って深坂峠を越えて敦賀に達しました。敦賀からは木ノ芽峠を越えて武生…
段葛段葛は鶴岡八幡宮の参道。源頼朝が平安京の朱雀大路を模して造った若宮大路中央の一段高い道。源氏池鶴岡八幡宮の源氏池は、源頼朝が放生池として造営。春ぼたん源氏…
東光寺にある石戸蒲ザクラは、源範頼の杖が根付いたものといわれ、国の天然記念物に指定されている古木。石戸蒲ザクラ☆ ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆ ☆~桜の次はア…
1183年(寿永2年)3月、11歳の時に人質として鎌倉に送られた木曽義仲の嫡男義高。源頼朝の娘大姫の許嫁として鎌倉で過ごしていましたが、翌年1月、父の義仲が粟…
気比神宮は北陸道の総鎮守。越前国の一宮。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向した紫式部も参拝したものと思われます。気比神宮は、1945年…
996年(長徳2年)、越前へ下向するため塩津山(深坂峠)を越えていったといわれる紫式部。そのときに詠んだのが・・・「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふ…
日本一の静の舞~静御前が源義経と出逢った神泉苑の雨乞い伝説~
神泉苑は、雨乞いの霊場であり、疫病が流行した際には御霊会が修されてきた霊場。池に架かる朱塗りの橋は法成橋。源義経と静御前が出会った場所と言われています。5月2…
琵琶湖の西岸に鎮座する唐崎神社は、賀茂祭(葵祭)を主宰した斎王が退下したときに参拝したともいわれている社。古くから祓の霊場として知られ、平安時代には「七瀬…
越前へ下向する紫式部が参拝したという塩津神社の主祭神は塩土老翁神。この地域には塩池があって製塩業が行われ、その者たちが塩土老翁神を祀ったことにはじまるのだ…
塩津浜996年(長徳2年)、紫式部は越前守となった父藤原為時に同行して越前国武生へ下向します。都を発った一行は逢坂の関を越えて大津へ。大津の打出浜から船出して…
葵祭は平安時代から続く祭事。上賀茂神社と下鴨神社の例祭です。祭の見どころは路頭の儀(行列)。特に斎王代の行列が人気のようです。斎王代とは、かつて賀茂神社に奉仕…
紫式部歌碑(白鬚神社)996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向するため打出浜から船出した紫式部は・・・三尾崎で網を引く漁師の姿を見ます。そして、…
白鬚神社琵琶湖の西岸の白鬚神社は近江国最古の大社。創建者は、垂仁天皇の第四皇女・倭姫命。『日本書紀』によると・・・倭姫命は、天照大神を伊勢の地に祀ったとされ、…
打出浜996年(長徳2年)、越前国へ下向するため父の藤原為時とともに都を発った紫式部は、逢坂の関を越えて大津へ。そして、琵琶湖の打出浜から船出し、湖西を渡って…
葵祭(あおいまつり)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭礼。清少納言や紫式部も見た五穀豊穣を祈願する王朝行事。5月15日の路頭の儀では…
逢坂の関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前へ下向するため京を発った紫式部は逢坂の関を越え…
3月30日(土)から光明寺の山門楼上が公開されます(5月6日(月)まで。)。釈迦三尊像四天王像十六羅漢光明寺山門光明寺の山門は、鎌倉で一番大きな山門。間口16…
996年(長徳2年)正月、紫式部の父藤原為時が越前国司に任命されます。紫式部は、為時に同行して越前国へ下向するため都を発ちます。夏の事だったといわれています。…
2024年(令和6年)7月3日発行予定の新五千円札の肖像画は津田塾大学を創設した津田梅子。裏面は古くから親しまれてきた「藤の花」。清少納言は『枕草子』に「藤の…
被講とは、詩歌に曲節をつけて詠み上げること。清少納言は『枕草子』に「長やかに詠み出づ」長々と声を引いて歌を詠む)と記しています。鶴岡八幡宮で行われる「献詠披講…
妙本寺のソメイヨシノが開花を始めています。2024/03/25
開花宣言はできませんが・・・妙本寺のソメイヨシノが開花を始めました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆3月24日のウェザーニュースのソメイヨシノ開花予想によると・・・源氏山公…
2022年の土肥祭2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。「源頼朝旗挙げ武者行列」では、湯河原町出身の船越英一郎さんが源頼朝役、「鎌倉殿の13人」に出演さ…
東京渋谷にある金王八幡宮は、源義朝に仕えた金王丸の名がつけられた神社。金王丸は、源義経を襲撃した土佐坊昌俊と同一人物ともいわれます。そして、社殿前に植えられて…
真珠院の八重姫の梯子供養は、真珠ヶ淵に身を投げた八重姫を「せめて梯子あったら救うことができたのに」という里人の想いから始められたという祭。毎年、4月第二日曜日…
3月21日のウェザーニュースのソメイヨシノの開花予想によると・・・源氏山公園は3月30日段葛(鶴岡八幡宮参道)は3月30日源氏池(鶴岡八幡宮)は4月1日となっ…
全国ふるさとおでん大集合!食べて!遊んで!お花見しましょう!3月21日発表のウェザーニュースによると、小田原城址公園のソメイヨシノの開花は3月27日。花見にち…
開成町のあじさいの里は、田植えを終えたばかりの水田とアジサイの風景を楽しむことができる所。農道や水路沿いで約5000株のアジサイが植栽され、毎年「開成町あじさ…
つらつらと うき世の中を思うにはまじらざるこそまさるなりけれ見聞かでも いわでもかなわざるものをうき世の中にまじるならいはつれもなく いとわざるこそうかりけれ…
古くからの言い伝えでは、人間の体の中には3種類の悪い虫(三尸)が棲んでいて、庚申の日には、寝ている間にその者の悪事を天帝に報告に行くのだそうです。ならば・・・…
曲水の宴(きょくすいのえん)は、3月上巳の日(のちに3月3日)に行われていた宮中行事。旧暦の3月は現在の4月上旬から中旬。桜のシーズンでもあることから花見の宴…
漢竹・呉竹鶴岡八幡宮の漢竹(右)・呉竹(左)は京都御所の清涼殿のものを模したもの源氏池畔の神苑ぼたん庭園に置かれています。漢竹は、府中の大国魂神社の矢竹を株分…
伝承によると、名越で疫病が流行った時、ある者の夢の中に佐助稲荷の化身という白髪の老人が現れ、「祠の前に菜種を蒔いて、それを服用すれば必ず効験がある」と告げられ…
『吾妻鏡』によると・・・1237年(嘉禎3年)3月9日、庚申の日。鎌倉は豪雨。終日降りやまず、亥刻(午後10時頃)には洪水。そんな中、御所では和歌会が催されま…
毎年、大船フラワーセンターで開催されている「日本の自生アジサイ展」は・・・5月21日(火)~5月26日(日)の予定。全国に自生するアジサイが展示されます。☆ …
つらつらと うき世の中を思うにはまじらざるこそまさるなりけれ見聞かでも いわでもかなわざるものをうき世の中にまじるならいはつれもなく いとわざるこそうかりけれ…
鎌足桜「鎌倉」という地名の由来については、いつくかの説があるようですが、浄妙寺の鎌足稲荷社の伝説もその一つにあげられます。藤原鎌足は鹿島神宮に参詣する途中、鎌…
986年(寛和2年)の寛和の変で花山天皇が退位し、一条天皇が即位したことで藤原兼家は摂政となりました。関白太政大臣だった藤原頼忠は、関白の地位は失いますが、太…
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし在原業平は・・・「桜がなければ、咲いたか?散ったか?と思い煩うことも悩むこともないのに・・・」と詠みました。…
極楽寺の本堂前に植えられているのは、一重と八重の花が混生する「八重一重咲分け桜」。室町時代に京都御所の紫宸殿に植えられて「鎌倉桜」といわれた「桐ヶ谷」です。八…
「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの」これは、室町時代の禅僧・一休宗純の名言。花は桜がすばらしい。そして、ぱっと咲いてぱっと散る桜…
桜は「サの神」が降臨すると咲くらしい。桜の「サ」は、サ神の「サ」。「クラ」は、神が座る所。という言い伝えも。サ神は田の神・稲の神。田植えが近くなると山から里へ…
2024極楽寺の仏生会~秘仏本尊開帳・忍性墓公開・花まつり~
仏生会では、本尊の清凉寺式釈迦如来立像が開扉されます。京都清凉寺の「三国伝来の釈迦如来」を模刻したもので、扇ヶ谷にあったいう新清凉寺釈迦堂の本尊であったともい…
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毎年、5月3日の小田原城は北條五代祭り。北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直を偲ぶ小田原市最大のイベント。北条早雲公像小田原駅前の北条早雲公像も兜に甲冑姿です。ス…
平将門は、自らを新皇と称して反乱を起こし、940年(天慶3年)2月14日、藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧された豪族。将門塚藤原秀郷と平貞盛に討たれた平将門の首級…
ゴールデンウィーク期間中の5月3日から6日まで、建長寺では「金澤翔子展」が開催されます。場所:得月楼時間:10:00~16:00(6日は15:00まで)入場無…
蘆山寺蘆山寺は、紫式部の邸跡にある寺院。拝観入口には金色の紫式部像が置かれている。 紫式部公園紫式部が娘時代を過ごした越前市の紫式部公園には 十二単衣を…
大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ(紫式部)が越前へと下るのもこうすぐかと思いますが・・・その頃、紫式部は姉を亡くしています。幼い頃に母を亡くしていた紫式部にと…
『白氏文集』(はくしもんじゅう)は、中国唐の文学者・白居易の詩文集。承和年間(834-848)以降に日本に伝来し、平安貴族の間で流行しました。藤原行成はそれを…
奈良の長谷寺も鎌倉の長谷寺も十一面観音が本尊。創建当初の十一面観音は、徳道がクスノキの霊木で造立させたものだったのだと伝えられています。奈良の長谷寺奈良の長谷…
江の島江の島は源頼朝が奥州平泉の王者・藤原秀衡を調伏するために弁財天を勧請した島。小動岬小動岬は、江の島の片瀬東浜の端。その先は七里ヶ浜。頼朝の挙兵で伊豆…
福井県は日本最大の恐竜化石発掘現場があることから恐竜王国と言われています。福井駅西口の恐竜広場には、動く恐竜モニュメントが設置されています。東口にも
京都市平安京創生館に展示されている「源氏物語車争屏風」。京都市歴史博物館蔵の複製。紫式部の『源氏物語』~葵の巻~での車争いの場面が描かれています。賀茂祭が行わ…
京都の祇園祭のハイライトは山鉾巡行。長刀鉾は「前祭巡行」の先頭を行く鉾。三条宗近が祇園社(八坂神社)に奉納した長刀を立てたことから「長刀鉾」と呼ばれます。…
995年(長徳元年)は、藤原道長にとって順風が吹き始めた年。4月10日、関白だった長兄・道隆が薨去。次兄の道兼が関白となるが5月8日に薨去。5月11日、一条天…
995年(正暦6年)正月、関白・藤原道隆は次女の原子を皇太子・居貞親王の妃としますが・・・程なくして病に伏します。そして・・・4月3日、関白を辞し、4月6日に…
鎌倉は、ゴールデンウィーク明け頃からアジサイのシーズン。あじさい鑑賞券七色極楽浄土となる長谷寺の「あじさい散策路」は、見ごろ(五分咲き)になると拝観料とは別に…
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
かつての東大寺には、大仏殿の東西に七重塔(東塔・西塔)が配されていました。2024年(令和6年)、東塔について研究してきた奈良文化財研究所は、その高さは68メ…
紫ゆかりの館パネル996年(長徳2年)、紫式部は父の藤原為時が越前国司に任じられると父とともに越前国府へ赴きました。1996年(平成8年)には、紫式部の越前下…
宇治陵宇治陵は、関白・藤原基経が定めた藤原北家一門の埋骨地。藤原氏塋域の碑塋域碑には、冬嗣・基経・時平・兼家・道隆・道長・頼通・師実の名が刻まれています。その…
995年(長徳元年)、北宋の商人・朱仁聡ら70余名が若狭国に来航。藤原道長は、彼らを越前国へ移します。そして翌年、越前守に任じられたのは紫式部の父・藤原為時。…
四納言は、一条天皇の時代に秀才として知られた四人の公卿。四人とは、藤原道長の政権を支えた源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成。斉信が大納言、俊賢・公任・行成が…
円覚寺舎利殿円覚寺の舎利殿には、源実朝が宋国の能仁寺より請来した仏舎利が納められているのだといいます。伝説によると・・・源実朝は夢の中で、自分が「宋国の能仁寺…
阿野全成の花押?真ん中が伊豆山神社の古文書「走湯山上常行堂への寄進状写」の花押。左は『市河文書』にある古文書(寿永2年12月7日付)の花押。右も『市河文書』に…
草鹿神事1193年(建久4年)5月、富士裾野の巻狩りを催した源頼朝。しかし、度々鹿を射損じる家人。そこで頼朝は、草を鹿の形に束ねさせ、それを射る稽古をさせたの…
『吾妻鏡』によると・・・1194年(建久4年)5月2日、由比ヶ浜の漁夫が病気でもないのに死にました。端座合掌していたそうです。漁夫は魚を釣って生活していました…
清少納言は『枕草子』に「四月、祭のころ、いとをかし」と記しています。祭とは賀茂祭のこと。さらに・・・「見物は、臨時の祭 行幸 祭の還さ 御賀茂詣で」と記し、見…
小田原城は、1590年(天正18年)の小田原征伐で開城。このとき、北条氏政と氏直父子を説得したのが黒田官兵衛(孝高・如水)でした。官兵衛は、無刀に肩衣袴に酒と…
洪鐘円覚寺の国宝梵鐘(洪鐘)は、開山の無学祖元が来日する際に、舟を守護していた竜が宿したという「宿竜池」の底から金銅を得て鋳造されたのだとか・・・2023年は…
ゴールデンウィーク期間中の5月3日から7日まで、建長寺では「金澤翔子展」が開催されます。場所:得月楼時間:10:00~16:00(7日は15:00)入場無料上…
円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。源実朝が請来したという仏舎利が祀られています。現在の舎利殿は、鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿が移築さ…
1173年(承安3年)4月29日、後白河法皇に神護寺再興の勧進を強行した文覚が伊豆国に流されてきて、源頼朝が流されていた蛭ヶ小島に近い奈古谷に庵を結びます。蛭…
1177年(安元3年)4月28日、京の三分の一が灰燼に帰す火事が発生。鴨長明の『方丈記』は・・・午後8時ごろ、樋口宮小路で発生した火事は、西北に広がり、朱雀門…
室生寺は、大庭御厨の懐嶋郷を本拠地とした大庭景能(景義)の持仏とされる阿弥陀三尊像を安置する寺。善光寺式の阿弥陀三尊像で1195年(建久6年)の造立といわれて…
清澄沢1253年(建長5年)4月28日、清澄山山頂で法華の教えを説いた日蓮。光則寺のカイドウの下に咲くアジサイ「清澄沢」は、清澄山原産のヤマアジサイです。例年…
伊豆山神社境内にある伊豆山郷土資料館で「走湯山上常行堂への寄進状写」が特別展示されています。内容は、治承7年7月25日に相模国「長墓郷」を走湯山上常行堂に寄進…
馬場の周囲に設けられる柵は「埒」(らち)と呼ばれます。この埒が取り払われることを「らちがあく」といいます。物事がすっきりと終わることを意味します。現代では「ら…
長谷寺のあじさい散策路は、アジサイが見ごろになると有料になります。昨年は300円でしたが・・・今年は500円。入山料は別で400円。長谷寺アジサイ物語☆ ☆ …
木曽塚木曽義高は、木曽義仲の嫡男。1183年(寿永2年)3月、源頼朝と木曽義仲の武力衝突の際、義仲が子義高を鎌倉に人質として差し出すことで和議が成立し、義高は…
将門塚940年(天慶3年)2月14日、藤原秀郷と平貞盛に討たれた平将門の首級は、4月25日に京都へ送られて梟首。その後、ゆかりの者たちが神田明神の傍に埋葬した…
明月院のアジサイは、日本古来の「姫アジサイ」です。日本の植物学の父と呼ばれれる牧野富太郎博士が「女性的で優美」であることから名づけたそうです。☆ ☆ ☆ ☆ …
1238年(嘉禎4年)正月28日、四代将軍九条頼経は上洛のため鎌倉を出発。2月17日に入洛し、六波羅御所に入りました。それから10月13日まで京都に滞在してい…