片倉小十郎景綱
伊達氏の家臣。片倉家が代々世襲する通称・小十郎により、片倉小十郎として有名。
米沢の神職・片倉景長の子。はじめ伊達政宗の父・伊達輝宗に仕え、その後、遠藤基信の推挙によって政宗の近侍となり、重用される。伊達家中では、武の伊達成実と並んで、智の片倉景綱と呼ばれた。1589年の摺上原の戦い、1590年の小田原参陣、1600年の関ケ原の戦いなど、いずれも伊達氏の危難を救っている。
主君・政宗が仙台藩に封じられてからは、一国一城令が敷かれる中、特例として残された白石城の城主となり、以後、片倉家は明治まで11代にわたって白石の地を治め続ける。
1615年、病のために死去した。景綱の人徳を慕った家臣六名が殉死したと言われている。