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真実なクリスチャンライフを求めて〜自由な祈りのため http://blog.livedoor.jp/chlife/

キリストへの祈りは生活の現場から誰にでも自由にできます。キリストは呼び求める人と共に居る方です。

このブログでは、痛みの連鎖のある世界について、祈りを共有し、見るべきこと知るべきことを探していきます。皆がぶつかって考え込むような共通のことを書いています。 クリスチャン2世として、教会の問題、カルト化の問題について、傷を受けた皆さんと共に祈り、教会・教派主義からの脱出と信仰について、自立を目指す現実的視点で触れていきます。

仁保裕介
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小倉北区
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東村山市
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2013/01/20

仁保裕介さんの人気ランキング

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INポイント 20 20 30 40 40 40 30 220/週
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哲学・思想ブログ 91位 87位 77位 70位 71位 73位 74位 14,681サイト
キリスト教 4位 4位 4位 4位 4位 4位 4位 837サイト
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INポイント 20 20 30 40 40 40 30 220/週
OUTポイント 20 30 40 60 50 40 40 280/週
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哲学・思想ブログ 115位 109位 105位 103位 108位 111位 114位 14,681サイト
キリスト教 7位 7位 6位 6位 6位 6位 5位 837サイト
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INポイント 20 20 30 40 40 40 30 220/週
OUTポイント 20 30 40 60 50 40 40 280/週
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哲学・思想ブログ 191位 177位 180位 176位 194位 198位 187位 14,681サイト
キリスト教 12位 12位 11位 11位 12位 12位 12位 837サイト
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  • 信仰の篤い情熱とは

    信仰の篤い情熱とは

    『神に自分の最上のものを捧げましょう』などという煽り文句で教えるキリスト教関係者を警戒すべきです。彼らが『最上のもの』だと教える内容に決して従ってはいけません。選民思想で聖書聖霊が特別な意味を持ち従うべき使命を持ち人生をがんばる、という意識になってし

  • 心が本当に欲するのは生命か、この世での存在の証しか

    心が本当に欲するのは生命か、この世での存在の証しか

    「自分が貢献した結果・やり遂げた目に見えるモノ」が絶えず欲しい自分の存在を確認したいからでも結局結果はモノではなく、「心に何を願っているか」だけが永遠に残りますキリストに何を願うかキリストがどんな方か知れば祈りの内容が決まっていきますだからキリスト

  • 祈り

    祈り

    自然な普通の自分の存在が、世界に与えるものがある。その事実は大切で必要な認識です自然な心の願いは自然な祈りになり神に届き聞かれています整えられた祈りより心の思いをそのまま人としての素の祈りを人がその人らしく生きるために自分のためと隣人のため

  • このブログの姿勢・コンタクト

    このブログの姿勢・コンタクト

    自由な心で神様に祈っていますか?祈りの言葉が何かに縛られていませんか?私たちは神様に向いて自由であり、それぞれの心の思い、叫びがあります。その自由に聖霊がおられ、必ずとりなされています。多様な祈りがあってこそ、みからだの一致ではないでしょうか。

  • 普段着のキリスト

    普段着のキリスト

    私たちも心の中まで普段着であること飾らずありのままキリストはそんな普段着の人を認めて友として傍にいるのに教会や牧師が認めないどうやっても改善しない悪い教会や悪い牧師は存在します『正統で聖書的(異端・カルトとは違う)』と自称し日曜出席や奉仕

  • 『この世のすべての問題は人間の罪のせい』『キリストがそのすべての罪を背負った』でも十字架にかけたのは正統の教職者たち

    『この世のすべての問題は人間の罪のせい』『キリストがそのすべての罪を背負った』でも十字架にかけたのは正統の教職者たち

    『問題の原因が人間の原罪(げんざい)で悔い改めて実を結ぶ生活が解決の道』と言って教会通いと献金と無償の伝道奉仕をさせるのがキリスト教系のカルト宗教福音派聖霊派は『原罪を解決する救いは聖書的な信仰、聖霊の満たし』と言いさらに深みに誘い込み『聖書

  • カルト化ブラック化被害の心の痛み叫び願いは健全な反応で、それそのままで真っ直ぐな祈りに

    カルト化ブラック化被害の心の痛み叫び願いは健全な反応で、それそのままで真っ直ぐな祈りに

    カルト化ブラック化被害者にとって自分の心のためにストレスマネジメント、アンガーマネジメントは大切です自分が理想とする心地よいことを見つけて自分ために時間を取って満たして自分に余裕を与えるようにしてあげましょう何が自分に良いことで心を生かすことにな

  • 清い顔をした信仰は危うく、生きる現実で祈る人の真実が人を救います

    清い顔をした信仰は危うく、生きる現実で祈る人の真実が人を救います

    死生観 人の命 人生の重みそれを説きながら実は理解しておらず成長せず幼い我欲のために他人をもてあそぶカルト神キリスト聖霊聖書を我が物のような顔で『他では救われない』という教派福音派聖霊派それを捨て追い出して人生を取り戻し心を書き換える脱カルト

  • 福音派で頭が硬くなりキリストよりも聖書を信じて頑なに

    福音派で頭が硬くなりキリストよりも聖書を信じて頑なに

    聖霊派でキリストよりも聖霊の満たしと癒し奇跡を絶対視して頑なに教会の教えで固定したものとしての信仰の励ましのかたち、清さ、教会参加、交わり奉仕、聖書祈りの日課それは頭に袋を被せられるようなもの牧師は本来聖書を教える人ではなくキリストへ導く役

  • 光と闇の境界線を歩くのが人生のリアル

    光と闇の境界線を歩くのが人生のリアル

    その境界線は高い山の尾根のよう転んでは影になっている暗い斜面に引きずり込まれ光のある方を見上げて祈ると引き上げられ牧師や教会が光の側に居るとは限らない罪や心の痛みによって闇はどの人にも例外なく誰にでもこの世で生きる現実を知りつつ、キリストもその

  • 神様は人に点数をつけず、ただ命を見つけ命を救うために寄り添う

    神様は人に点数をつけず、ただ命を見つけ命を救うために寄り添う

    福音派聖霊派の教会で苦しめられている当事者であり目撃者は、神からの試練ではなく、牧師や教会の人からの責めや縛りに苦しんでいます。全人類が福音派の『福音』を信じなければ地獄行き、と信じさせられ、真面目で純真であるほど持てる情熱を惜しみなく捧げて教会と隣人

  • 福音派・聖霊派でキリストを知り救われ、いかに福音派・聖霊派の洗脳と支配から逃れるか

    福音派・聖霊派でキリストを知り救われ、いかに福音派・聖霊派の洗脳と支配から逃れるか

    キリスト教の優れた所は、キリストが地上で生き、人々と語り合い、共に歩む神の姿であることで、人に分かりやすく神が人格的な交わりを喜び、共に居て住み、言葉を語り、人の思いの変化を人の理解できるペースで導き促すことを、福音書で示していることです。ところ

  • 心の中の良いものとキリストを悪い教会に殺されないために

    心の中の良いものとキリストを悪い教会に殺されないために

    この世を支配したい人間と教会は他人の心を殺しますが、キリストは人の中に住み、傷んだ心に寄り添い、人の心を守ろうとします。キリストは現実を生きる神なので、そのやり方も現実的です。私達が普段触れるものから、思うこと感じること体験することから、心の自由を得

  • 断ち切らないといけない人間的な信仰の型

    断ち切らないといけない人間的な信仰の型

    福音派聖霊派の言う『聖書通りの価値観』を持とうとするため、終末観と罪責感に支えられた『我を忘れ自我を殺す忠実な信仰の型』が信徒の心に大なり小なり存在するので、それを断ち切り、自分の中に人生の支えを得る必要があります。それが神である父・キリスト・聖霊の導

  • 人が理想を求めて形づくる教会より、人それぞれに生きる現実に生きて伴う神、キリストと進む人たちの信仰こそ

    人が理想を求めて形づくる教会より、人それぞれに生きる現実に生きて伴う神、キリストと進む人たちの信仰こそ

    今と将来のクリスチャンと社会に資するために、片隅の小さな記録として残しています。もう、福音派・聖霊派・聖書信仰を標榜するのをやめた方が良いと思っています。今知っていることから言えば、もし十代に戻れたら、選ばなかったもの、信じなかったもの、考えずに済ん

  • キリストがありのままの人の心に手を入れて支えるから

    キリストがありのままの人の心に手を入れて支えるから

    キリストがありのままの人の心に手を入れて支えるから、人はその平安のある変化を感じ、現実にキリストが伴う愛を感じて、悔い改められるし、生きられます。自分に共感して心配して寄り添って助言してケアしてくれるキリストに共感して、自分に自分で寄り添い静まって自分

  • キリストが優しい赦す愛の方だとイメージできない人の方が多い

    キリストが優しい赦す愛の方だとイメージできない人の方が多い

    一緒に暮らすことで相手のことが分かるとよく言われます。犬や猫も飼い主と暮らして人を知り、人への愛情と欲求の素直な反応を喜び飼い主は世話をします。私の中に素直さが絶えず出ていれば、と思います。キリストの愛と癒しが満たされて溢れるのはいつだろうと。人生へ

  • 『あなたはキリストに会いたいですか?』と問われていませんか

    『あなたはキリストに会いたいですか?』と問われていませんか

    キリストにどんな時も会えるのを楽しみにする、これを忘れずに過ごしたいですね。キリストがトラウマになるような教会にいると、会えない、話せない、遠いと思ってしまうことがあります。心で気を張って頑張って生きていると、心の休ませ方が分からなくなることもあって

  • 聖書が言う「キリストの御体(みからだ)なる霊的な教会」を心で求め続け

    聖書が言う「キリストの御体(みからだ)なる霊的な教会」を心で求め続け

    キリストは、私たちのひとりひとりが神の宮だと言いましたし、いつでもどこにいても、キリスト・聖霊は私たちから離れません。キリストはこの世に生まれ、人として生きる間も、十字架上でも、刑場に引かれていく間も、死に黄泉に下る時も、今の私たちのことをご存じ

  • 心の内側の底の底の声を聴いて、それをそのまま祈る、自分を見つけて受容する

    心の内側の底の底の声を聴いて、それをそのまま祈る、自分を見つけて受容する

    孤立、痛み、自己否定、自分を責め続ける心の自傷、奥底まで他人に手を入れられて干渉され責められた記憶、子どもから大人へと自立する反抗期もなく人格批判や人格否定を忠実に受け入れて、他人に左右され失った自分の存在感を揺るがない自己確立にするにはどこまで行

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