まず書き出す前に、この話を「ひとりの1歩」からというカテゴリーで書くかどうかを迷った。というのも、この話は、東京日日新聞の1949年2月26日に舞い込んだ当時小学校3年生の近藤晃一さんの手紙が、すべての動きへの「最初の1歩」となったからだ。この話は、先の戦争で終戦近くに本土へも空襲が激化。動物園の猛獣が空襲で逃げだしたら危険と動物園の猛獣が殺処分を受けた悲しい話が前提となっている。象もその例外ではなく、全国で唯一、名古屋市の東山動物園だけが、園長さんらが守り抜いて、象が2頭だけ生き残ることができた。そして、話は象がいなくなった東京の子どもの下にある1通の投書からはじまった。翌日2月27日に掲載になった投稿自分が象をみたいというのでなく、妹にほんものの象をみせたいという優しい小学校3年生の投稿。投稿は翌日に...子ども会議と「ぞうれっしゃがやってくる」